+++ A/Q +++



「葉山、日本酒いけるんだったよな?」
 十月、明日から秋休みという日の消灯間近の270号室。そう言って三洲は少し大きめの紙袋から青みがかった透明な瓶を取り出した。
「どうしたんだい、それ?」
「ちょっとね。貰い物だよ」
 瓶のラベルには『《吟醸》美少年』と書かれている。
「明日から休みだし一緒にどうだ?」
「珍しいね、三洲くん。お酒なんて」
「まあ、たまにはいいだろ。俺もやっとお役御免になったことだし」
「ああ、もしかしてそのお祝いにもらったの?」
 先日の役員改選で新役員が正式に任命され、三洲も生徒会長の役職を離れたのだった。
「まあそんなところかな。だから少し付き合わないか?」
 三洲が瓶を目の前にかざす。
 うん…たまには悪くないかも。どうせ今晩もギイとは会えないんだし。受験生にもたまには息抜きが必要だよな、って息を抜きたくなるほど勉強してる訳じゃないけど。
「いいよ、飲もうか」
 ぼくが言うと三洲はにっこり笑って準備を始めた。ぼくも買い溜めしてあったスナック類をいくつかパーティー開きにする。
 それだけでちょっと楽しい気分になった。三洲は同室になってからずっと不在がちだったからこんなふうに一緒に飲むことなんてなかったし。
 洒落たグラスなんてないから何の変哲もないコップ酒になっちゃうけど、それはまあ仕方ないか。
 ベッドとベッドの間の床に座り込み、
「何に乾杯する? 葉山」
 ぼくにコップを渡してお酌をしながら三洲が訊く。
「んーそうだな。じゃあ、三洲くん一年間お疲れさまでしたってことでどう?」
「それもそうだけど、じゃあこれからはお互いに受験勉強がんばろうってことで」
「それ、なんかあんまり嬉しい乾杯じゃないよ」
「はは、そうだな。ま、とりあえず初めての同室者との晩酌に、乾杯」
「乾杯!」
 コツン、とコップが鳴った。

 同室になったばかりの頃は本当にこの人と一年間もうまくやっていけるのかと本気で不安になったものだけど、慣れてしまえばなんのことはない、ぼくは自然に三洲に気を許すようになっていた。三洲がぼくに気を許しているかと言えば、微妙なところだけど、まあでもこうして一緒に飲もうなんて誘ってくれるくらいだからそれなりには認められているのであろう、たぶん。
 三洲と酒を酌み交わしながらの会話は予想外に楽しくて、先日終わったばかりの文化祭や体育祭のことを始め、クラスメイトのこと、読んだ本のこと、観た映画の感想なんかを取りとめもなく語り合った。
 750ml入りの瓶はあっという間に空になり、まだ飲み足りないな、と思っていたら三洲がどこからともなく二本目を取り出して来た。
「まだあったんだ」
 ぼくが言うと、三洲はにやっと笑って指を三本立てて見せた。
「三本ももらったのかい?」
「そうだよ。だから存分にどうぞ」
 三洲が蓋を開け、コトコトとぼくのコップに酒を満たす。
「じゃあ遠慮なく」
「葉山がどのくらい強いか見てみたいな。まだ全然酔ってないだろ」
「そういう三洲くんこそ」
 ぼくも三洲もいつもより口数が多いし多少陽気になってはいるけど、まだ酔っているというほどではない。
 これは飲み比べになるかも…。
「でも葉山、二日酔いにならない程度にしとけよ」
 涼しい顔で三洲が言う。
 ムッ、自分はならない自信があるのか? よし、負けないぞ…って、こういうふうに思ってる時点で酔ってるんだろうなぁ、やっぱり。

 二本目の瓶が空く頃にはさすがにふらふらしてきて、ふたりとも後ろのベッドに凭れながらチビチビとコップに口を付けていた。
 でも三洲が普段なら絶対に話してくれないような生徒会の裏話やら先生方のマル秘話なんかを面白おかしく聞かせてくれるおかげで会話が尽きることはなかった。
 色白の三洲は顔から首まで紅く染まって、とろんとした目がやけに色っぽい。
 ぼくですらそう思うんだから、こんな三洲の姿を見せたら真行寺なんか即死だろうな…。
「あ、そうだ。真行寺くんも呼べば良かったのに」
「いいんだよ。俺は葉山と飲みたかったんだから」
 消灯はとっくに過ぎてるけど、こっそり誘いに行ってみてもいいかも…。酒の勢いで大胆になっているせいか、そのくらいのことはしてもいいような気がした。
「だってふたりじゃもったいないじゃないか。せっかくおいしいお酒なのに」
「いいよ、あいつ明日試合だって言ってたし」
「ああ。そう言えば…。確か早朝に出て遠方まで行くんだったよね」
 せっかくの秋休みが一日つぶれるってぼやいてたっけ。ぼくが相槌を打つと、
「詳しいんだな、葉山」
 とろんとした目がどすん、になった。
「だ、だって昨日教えてくれたから」
「ふ〜ん…」
 …こういうのを目が座ってるって言うんだ。妬いてるんだよな、これは。
 でも、ここは穏便に…。
「あ、ほら、真行寺くんよく温室に来るし。だから色々話す機会があるだけで…」
「よく、会ってる訳だ」
 やばい。墓穴を掘った。
「や、よくって言っても週に何度かとか、そんな感じで…」
 ホントはほぼ皆勤賞なんだけど、そんなこと言えない!
「週に何度 も 会ってるんだな」
「そそそそうなんだけどさ…」
 なんか声に凄みが…。これは、絶対酔ってる。怖いです、三洲くん! どうしよう…?!
「え〜と、ほら、三洲くんだって会いたいなら会いに行けばいいのに」
 って、なにを言ってるんだ。これじゃ火に油を注ぐようなものだ。頭が回ってない。ぼくも酔ってるよ…。
「別に俺は会いたくない」
 ふいっと三洲がそっぽを向く。
 んー、こんなあからさまに態度に出すなんてホントに珍しい。やっぱりお酒が入ると三洲でも少しは素直になったりするんだ。
「またそんなこと言って…」
 そうか。このところ文化祭、体育祭と行事が続いてそのあとに新役員との引継ぎなんかがあったからゆっくり会えないって真行寺が嘆いてたっけ。
 中々会えなくて寂しいのかな、三洲くんも。
「…葉山は寂しくないのか?」
 ふいに三洲が言った。
「え?」
「崎と思うように会えなくて寂しくない?」
「まあそれは…。でももう結構慣れたし」
 半年もこんな生活を続けていれば寂しいのにも慣れてくる。でもその分久しぶりに会った時の嬉しさは大きかったりするのだ。
「大切にされてるものな、葉山は」
「…そう、かな?」
 うん。確かにギイは大切にしてくれてると思うけど。そう思ったらお酒のせいだけじゃなく顔が火照った。
 そんなぼくを見て三洲はくすっと笑い、でもすぐに真顔になって
「お互いに愛し合ってるのがわかってれば多少不自由な関係でも耐えられるのか?」と訊いた。
 普段の三洲らしくない発言だ。
 …誰のことを言ってるの? 不自由な関係って、今のぼくとギイは確かにそうだけど、それって三洲たちにも当てはまらないか?
「…そうだね、思われてるのがわかってるからがんばっていられるのかも」
「…そうか」
 三洲がぼくの顔を見つめてポツリと呟き酒を呷った。
 今度はどすんの目がしょぼんになった気がする。だからぼくは敢えて明るい口調で言った。
「三洲くんだってあんなに愛されてるじゃない」
「でも俺は愛してないよ」
「いつまで経っても嘘つきだね、三洲くん」
 三洲は小さく笑うとコップに残った酒をグイッと一気に飲み干した。
「―――伝わらなければ同じことだろ」
 …ん? それって…。よく回らない頭で今の言葉の意味を理解しようとする。
 う〜ん、やっぱりそれは、愛してるって間接的に認めてるんじゃ…。
「好きなんだよね、真行寺くんのこと」
 三洲は空になったコップを床に置くと、
「…そうかもな…」
 口の中で呟いてベッドに倒れ込んだ。
「三洲くん、大丈夫? 酔ってるでしょ」
「ああ、少し…。葉山はホントに強いんだな。俺はもう限界…」
「ちょっと待ってて。お水持って来てあげる」
 ぼくは急いで、と言っても多少ふらつく足取りでバスルームまで行き水を汲んで来た。
 三洲は気だるそうに半身を起こすとそれを一気に飲み干して大きく息を付いた。
「葉山。俺、今言ったこと、きっと明日になれば忘れてるから。だから葉山も…」
「忘れないよ、ぼくは」
 せっかく大切なことを訊いたんだから。忘れられる訳がない。
 布団に入ろうとして、でも回った酔いのせいでそんな簡単な動作さえスムーズに出来なくなっている三洲を手伝ってキチンと布団を掛けてやる。
「―――そうだな。はやまにだけは、おぼえておいてもらっても、いいかもな」
 ああ、すっかり呂律が回らなくなってる。二日酔いにならなきゃいいけど。
 そして三洲は目を閉じたまま、思うように出てこない言葉を一生懸命繋ぎながら、ゆっくりと言った。
「前言、撤回だ、葉山。…忘れないでくれ。それで、俺が…自分の、気持ちを…わからなく、なってたら…さっきみたいに、訊いてくれよ…」
「…真行寺くんのこと好きなんだよねって?」
「…ああ」
「それで三洲くんはなんて答えるの?」
「…そうだって、答えるまで…何度でも、訊いて欲しい…」
 三洲の言葉はもうほとんど寝息になっていた。この分じゃ、今言ってることも本当に明日になったら忘れているかもしれない。
 でもぼくが覚えておいてあげる。もし迷うことがあったらいつでも訊いてあげるよ。
「わかった。約束するね、三洲くん」
 すでに寝息を立て始めた三洲に向かって聞こえないのを承知で言うと、三洲はわずかに微笑んだ。

 ぼくとしては今すぐにでも真行寺に教えてあげたい気分だけど、きっといつか、酔ってなくても自分から伝えられる日が来るよね。
 そんな日が早く来ることを願いながら、三洲の布団をぱふっと叩いてぼくもベッドに潜り込んだ。
 思いがけない三洲との晩酌。ギイに言ったらやきもち妬くかな。
 でも楽しかった。また一緒に飲もうね、三洲くん―――。


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