+++ ハートのチョコレート +++
2月14日、午後10時半。消灯はもうすぐそこに迫っている。
真行寺は先程から上級生ばかりが生活する二階の、階段長のいる200号室とは間逆の一番端、270号室の前の廊下を熊のように行ったり来たりしていた。
ただでさえ目立つ長身、しかも文化祭で一躍有名になってしまったのだから、少しは行動に注意を払っても良さそうなものだが、真行寺は唯一無二の愛しの人のこと以外には非常に無頓着だった。
だから、夕方寮に戻ってみたら郵便受けに入りきれないほどの可愛い包みがダンボールに入れられて置いてあったこととか、昼休みにクラスメイトがくれたチョココロネの意味なんかにもまったく関心を持たなかったのである。
今現在の真行寺の目的は「アラタさんにチョコを渡す!!」ただこの一点のみに絞られていた。傍からみれば真行寺が三洲に惚れているのは公然の事実で、だから何を今更たかがチョコを渡すのを躊躇っているんだってなものだが、当の真行寺は真剣である。周りの言動に注意を払っていればあっけなくチョコを渡すことが出来たかもしれないのに、それを簡単にできなくしてしまったのは他ならぬ真行寺自身だったのだから、今のこの苦しみ(?)は自業自得以外のなにものでもない。
270号室からついさっき紙袋を抱えて入って行ったヤツが頬を上気させながら出てきた。三洲にチョコを渡したのだろう。
くそぅ、俺だって…。今度こそ渡しに行くぞ!
気合いを入れて一歩足を踏み出すものの、その手の中の小さな包みを見てまた躊躇する。そう、おそらくこの祠堂の中で今一番意気込んでいる男、しかしその意気込みに似つかわしくないその小さな包みは売店の一個八十円也、不二家のハートチョコなのであった。
こんなにこんなに三洲を想っている真行寺がなぜそんな失態をやらかしてしまったのか。それは入学してそろそろ1年、もう新入生とは呼べない時期ではあったけれど、真行寺にとってこれが”山奥に建つ全寮制男子校祠堂学院高等学校”という特殊な環境で迎える初めてのバレンタインだったからにほかならない。
数日前からバレンタインのことは教室のそこかしこで話題になっていた。友人たちの間では誰がいくつゲットするかなんてトトカルチョも始まったりして、そこそこ盛り上がってはいたのである。
『誰が一番もらえるか競争しようぜ〜』なんて話は普通に共学の中学に通っていた頃にもあったから、まったく珍しい話ではなかった。そして大抵の場合真行寺はなぜだかその競争には混ぜてもらえなかったので今年もそういった話はスルーしていた。(ちなみに真行寺が混ぜてもらえなかったのは、誰も真行寺に勝てる奴がいなかったからなのだが、本人はそこら辺の事情はまったくわからず密かに寂しい思いをしていたのだった…)
そんな訳で今年も敢えてバレンタインの話題には加わらず、ひとり物思いに耽るはめになったのだが、そもそもそれが間違いの始まりだったのだ。
『いくつもらえるか』にステイタスを覚える男心。それは年頃の男子なら当たり前のことで、だから真行寺の物思いもとい妄想は『アラタさんからチョコをもらえたらどんなに嬉しいだろう♪』という方面にばかり膨らんでしまったのである。
ロケーションは誰もいない教室だったり放課後の屋上だったり真っ暗な校庭の片隅だったりしながら妄想は駆け巡る。
『真行寺、これ…』
『俺なんかがもらっていいの?』
『当たり前だろ。だって俺は、お前を…』
な〜んてことをいつでもどこでも考えて、ニヤける顔を無理やりしかめっ面にしてみたりして、少しずつシチュエーションを変えながら、真行寺の妄想は延々と続いていたのであった。
真行寺が自分の失態に気付いたのはバレンタイン当日の朝。前日の夜、絶好調に妄想が駆け巡り、おかげであらぬほうまで展開が進んでしまって寝付けなかった挙句に寝坊して、ダッシュで校舎に向かった。もう少しで校舎にたどり着くというとき、前方に三洲を発見した。
朝から会えるなんて今日はなんてラッキーなんだ! と思ったのも束の間、昇降口からスッと現れた自分と同じ一年生の二人組。なにやら三洲に話しかけ、ひとことふたこと会話をしたあと三洲に手渡されたのは一目瞭然のチョコレートだった。
「あっ! あ、…あぁぁ〜」
思わず声を上げ、ポカンとその様子を眺めていると、距離からいって声が届いたとは思えないのに、三洲と目が合った。しかも目が合った、だけでなく、ニヤリと笑ったのだった………。
バカだ…。なんて大バカなんだ…。
チョコを渡すべくは三洲じゃなくて自分だということにようやく気付き、今朝方までの甘い妄想はどこへやら、その後真行寺はドップリと落ち込むことになった。
昼休みに慌てて売店に走るも残っていたのは不二家のハートチョコオンリー。それでも渡さないよりはマシかと買ってはみたが、あまりにもみすぼらしい。こんなものもらって三洲が喜ぶはずがない。イマドキ例え義理チョコだってもうちょっとマシなものを渡すだろう。そんなことはわかっている。わかってはいるが、もう今となってはどうしようもないのだ。
ハートチョコを片手にトボトボと校舎に戻ると、今度は廊下で三洲に遭遇した。またしても一年生に囲まれている。そしてその手にはいくつものチョコ。当たり前だがその中にハートチョコと思しきものはひとつもナイ…。
ふぅっと肩を落とした真行寺に、三洲はまたニヤリと笑って見せたのだった。
そんなこんなで渡すべきか渡さざるべきか、考えて考えて考えているうちに夜になった。友人が真行寺宛のダンボールが郵便受けの前にずっと置き去りにされていることを教えてくれたので取りに行くと、そこにはたくさんの、今正に自分が欲してならない可愛いラッピングのチョコレート。もちろん自分が食べたい訳ではない。
いっそこの中からひとつ選んで…。そんな考えもふと頭を過ぎったが、バレンタインってそんなものじゃないだろう? このチョコたちだって、きっとそれぞれが一生懸命見繕ってくれたのだろう。それが恋だか憧れだか単にお祭りに便乗しただけだかわからないけれど、満にひとつの望みでも気持ちが伝わることを願って…。
――そうか。そうだよな。バレンタインってのは気持ちを伝えるためにあるんだ。中身なんか本来は二の次なんだよな。(そりゃ、中身が伴ってたほうがいいに決まってるけど)
ようやくのこと、真行寺はそう思い至って270号室に向かった。しかし今日はやたらと人の出入りが激しい。しかもみんな手土産を携えている。
いったい三洲はいくつチョコをもらったんだ? あんなにたくさん貰っていたらこんな安物なんて気持ちが伝わるどころかたちまち埋もれてしまいそうだ。でも一度渡すと決めた以上、真行寺の意志は固い。消灯間近、ようやく人の出入りが途切れたところで意を決してドアをノックした。
「はい」
中から三洲の声が聞こえる。真行寺はゆっくりとドアを開けた。
「どうした? 今日はやけに大人しいじゃないか」
三洲がクスリと笑う。少なくとも追い返されなかったことにホッとして部屋を見渡す。同室者は不在のようだ。これで安心して告白(今更だが)できる。…と、部屋の隅に置かれた大きな籐のカゴに思わず目を瞠った。
「あ…。あの、俺……」
中身は二の次。そう思ってここに来たのに、カゴの中のチョコの山を見た途端に自信がなくなった。たくさんの想いの詰まったチョコ。自分の三洲への想いは誰にも負けないと思っているけど、だけどそれを伝えるには貧相すぎる手の中のハートチョコ。三洲がその小さなチョコに目を留める。
「なんだよ、それ」
「や、これは…。えっと…いや、なんでもないっす…」
情けなくなって思わず目を伏せた。
「俺に持ってきたんだろう? いいから寄越せよ」
「あ、じゃなくてこれは…」
「お前が貰ったとでも?」
「そう、そうなんすよ、ははは…」
しかしこんな行き当たりばったりの言い訳で三洲が納得する訳がない。
「そうだとしてもな、お前のものは俺のものだ、真行寺」
いやみなっくらいニッコリ笑って手を差し出した。そこまで言われて抵抗できるはずもない。真行寺はおずおずとそれを三洲に手渡した。
「ふうん。ハートチョコか。懐かしいな」
言うが早いか、ピッとそのビニールの包装を破り三洲がハートのチョコをかじる。
「あっ…」
「なんだよ、お前も食うか?」
「いや、そうじゃなくて、なにもそれを食べなくてもそこにたくさん美味しそうなのがあるじゃないっすか」
そう言うと、三洲は横目で大きな籐のカゴを見遣り、薄く笑いながらフンと微かに鼻を鳴らした。
「欲しければお前にやるよ」
「何言ってるの。それ、みんながアラタさんの為にくれたんでしょ」
「男同士でバレンタインもなにもねえ…。お前だってたくさんもらったらしいじゃないか。それ、全部自分で食うつもりなのか?」
「あ…」
三洲がクスリと笑う。
そうだ。確かに自分も貰ったチョコは友人と山分けするつもりでいた。
そうだ。たかがバレンタインにこんなに真剣になるなんて、やっぱり自分はまだまだ子供なんだ…。
「な、だから…」
言いながら三洲は大きなカゴを持ち上げて真行寺に寄越した。
「これは、お前にやるよ。万年欠食児童クン」
軽い調子で三洲は言うけれど、
「でも…。貰えないよ、やっぱり」
男同士だろうとなんだろうと、そこにはいろんな想いが詰まっいるはずだ。
「じゃあ、この中にひとつだけ、俺が買ったチョコが入っていると言ったら?」
「…え?」
「探してみろよ、俺が買ったチョコ」
三洲がくすくすと笑う。
真意のわからぬまま思わずカゴを受け取ると、ちょうど消灯を告げる館内放送が入った。
「ほら、消灯だぞ。帰れよ」
「ねえ、ホントに…?」
本当にこの中に三洲が買ったチョコがあるのだろうか。
「さあ、どうだろうな」
言いながら三洲はすっかり見送りモードで真行寺をドアのほうへ追いやる。
「そんなあ。こんないっぱいの中から見分けられるわけないっすよ」
そもそも本当にあるかもわからないのに。
「だとしたらお前の修行が足りないんだな」
そう言って笑った三洲はなぜだかとても満足げだった。
「じゃあな、オヤスミ、真行寺」
「はい、おやすみなさい」
仕方なく真行寺も挨拶を返す。が、ドアを閉めかけて思い出した。肝心なことを言ってない!
「アラタさん! 大好きです!!」
必要以上に意気込んでそう告げると、
「…俺は好きじゃないからな」
いつもの答えが返って来たけど、そんなことでへこたれる真行寺ではない。
思い描いた展開とはまったく違うバレンタインデーになってしまったが、ちゃんとチョコも渡せたし、告白できたし、それにもしかしたらこの籠の中に三洲からのチョコがあるかもしれないのだ。
今年はこれだけでも上出来と思うことにしよう。
その晩、消灯を過ぎてから真行寺はチョコの山をひとつひとつ丁寧に見比べた。
もし三洲の買ったチョコがわかったら一生大事に大事に取っておくのだ!
たとえ真行寺のために買ってくれたわけじゃなくても”バレンタイン”に”三洲が買ったチョコ”を貰ったというだけで真行寺にとっては宝物になるのだ。
しかし。
……山を掻き分けること数分。
せっかく貰ったチョコを赤の他人にあっさり渡してしまうというある意味残酷なことをしておきながら、添えられていたであろうカードの類はしっかり取ってあるという気遣いは三洲らしいと言えば三洲らしい。
だけど今の真行寺にはそれさえも気遣いに見せかけた、真行寺に意地悪をするためだけの行為に思えてくる。
だめだ。全然わからない。やっぱり三洲がチョコを買ったなんて嘘じゃないのか?
あまりにも大量のチョコを体よく真行寺に押し付ける口実だったんじゃないのか?
また、ヤラレタ…?
いつもいつも簡単に騙されてしまうのが悔しくて、豪華なチョコの中に不似合いに、なぜだかひとつだけ紛れていたハートチョコをやけ食いして、その夜は更けて行った。
来年はきっちり準備してもっとハッピーな日にするぞ。そして願わくば、今よりもう少し甘い関係になっていますように…。
こうして真行寺にとって初めての祠堂でのバレンタインはドタバタと終わったのだが、ドタバタしていたせいで、三洲がたくさんのチョコを貰いながら結局真行寺から貰ったハートチョコしか口にしなかったことに真行寺は気付かなかった。
そして一番最初に却下して味わう間もなく無残にもやけ食いされたハートチョコが三洲から真行寺への贈り物だったことを知るのも、ずーっとずーっとあとのこととなるのだった。
fin
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