+++ 一歩ずつ、未来へ… +++



 12月25日。
 今日は祠堂の退寮日だ。俺にとっては祠堂で過ごす最後のクリスマスイヴだった昨日の夜は、受験勉強も忘れて仲間達と大いに盛り上がってしまったので、少し寝不足気味。
 でも誰よりも早く寮を出てきたのは、駅で待っている人がいるから。
 秋休み以来二ヶ月半ぶりの再会だ。
 ―――早く会いたいよ、アラタさん…。


 バイトで貯めたお金でアラタさんは最近車を買った。今日はその車で麓の駅まで迎えに来てくれることになっている。
 荷物もあるし、本当は祠堂まで来て欲しいところだけど、卒業以来一度も学校に顔を見せていないアラタさんが突然車で乗りつけたりしたら大騒ぎになることは確実なので我慢した。
 更に念には念を入れて、祠堂行きのバス停があるのとは反対側の出口のロータリーでの待ち合わせである。

 昨日降った雪のせいでバスが大幅に遅れた。だいぶ余裕を持って出てきたつもりだったのに…。俺はバスが駅に到着すると、大急ぎで駅の構内を抜けて反対側のロータリーを目指した。
 ぐるりと見回してすぐに見つけたアラタさんの濃紺のクーペ。弾んだ息を整えながら近寄って中を覗き込むと、シートを倒して目を閉じたアラタさんがいた。
 この時間にここに着くためにきっと早く出てきたんだろうな…。
 しばらく寝顔を眺めてから、そっと窓ガラスをノックする。眠りが浅かったのか、アタラさんはすぐに目を覚ましてシートを起こした。窓の向こうから「乗れよ」と言いながら助手席を目で示してロックを解除する。俺は言われた通りに助手席側に回って乗り込んだ。
「遅かったな」
「ごめんなさいっす。昨日雪が降ったからバスが中々進まなくて」
「ま、おかげで仮眠できたからいいけどな」
「もう少し寝ますか?」
「いや、いいよ」
 お互いに前を見たまま話す。久しぶりに会うときはいつも、なんとなく照れくさい。
「アラタさん」
「ん?」
 呼びかけて、やっと顔を向けてくれたアラタさんに
「へへ。久しぶりっすね」
 照れ笑いすると
「ああ」
 アラタさんが微笑んだ。

 走り出した車内にはカーステレオから流れる陽気なDJとクリスマスソング。特別な会話はなくても穏やかな時間が流れる。
 去年の今頃は、こんな日が来るなんて夢にも思っていなかった。
 去年のクリスマスは本当にサイアクだった。
 でも今が幸せだから、苦い思い出もそのうちきっと笑って話せるようになる。
 さすがにまだ、あの時のことを思うと胸が痛むけど…。

 アラタさんの車は途中のインターで下りて一般道に出た。真冬の太陽を受けて輝く海があまりにも綺麗だったから。
 急ぐ旅じゃない。家には友達の家に泊まると言ってある。
 今日はふたりでディズニーランドの近くのホテルに泊まる予定なのだ。

 海岸沿いの駐車スペースに車を停めて外に出ると海からの風が冷たく頬を刺す。
 慌ててコートを着込んでいると、アラタさんは俺を待つこともなく、ひとりでさっさと浜辺へ下りて行ってしまった。こういうところは相変わらずだ。
 でも。急いであとを追った俺の目に飛び込んできたアラタさんのマフラーに俺は胸が熱くなった。
 たぶん今思えばほんのささいな行き違いで一緒に過ごせなかった去年のイヴの夜。
 270号室に飛び込んだと同時に渡した俺からのプレゼントは包装を解かれることもなく放置されたままだった。
 祠堂にいる間は一度も着けているのを見なかったから、てっきり捨てられたと思ってたのに…。
「アラタさん! ちょっと待ってくださいよ!」
 叫んだ俺の声に反応してアラタさんが足を止めて振り返る。逆光で陰になって表情は見えないけれど、光に照らされた色素の薄い髪がサラサラとそよいでとても綺麗だった。

 人影まばらな海岸でふたり並んで冬の海を見つめる。
 ぽつりぽつりと話をしながら。
 大学の話を聞くのはちょっと辛い。どうがんばっても追いつけない一年の溝を感じてしまうから。アラタさんもそれをわかっているのか、俺の前ではあんまり学校でのことは話さない。

 手袋をしていないアラタさんの手がすごく寒そうに見えて、俺はその手を掴んで自分の手と一緒にコートのポケットに突っ込んだ。そして触れる硬い感触。
 あ…ヤバ…。
「なんだ、これ?」
 アラタさんが俺のポケットから小さな箱を取り出す。
 ひと目見てわかる、綺麗にラッピングされたジュエリーボックス。それを見てアラタさんはもう一度「なんだ、これ?」と訊いた。
 ああ、もっと印象的な場所で、劇的にこれを取り出して、感動的に渡すつもりだったのに…。俺はなんてまぬけなんだ。
「見ての通りっすよ」
 ことが思惑通りに進まなくて少しふてくされ気味に言った俺に、アラタさんは可笑しそうに肩を竦めて意地悪く訊く。
「誰に渡すつもりだったんだ?」
「そんなのわかってるくせに…」
 俺がアラタさん以外の誰に指輪なんかプレゼントするって言うんだよ。
「手、出せよ」
「え?」
「ほら、手」
 掴まれて言われるままに手のひらを広げると、そこにちょこんとジュエリーボックスを乗せられた。
「あ…」
 もらってくれないってこと? やっぱり指輪なんて嫌いだったか。それとも俺のことが嫌い? 不安になってなにも言えずに見つめていると、アラタさんはくすりと笑って俺の手の上にある箱のラッピングを解き始めた。
「アラタさん…」
 箱の中にはシンプルなプラチナのリング。参考書を買うと言っては親に送ってもらったお金を…いや、参考書も買うには買ったけど、かなり節約して貯め込んだこづかいで買えるギリギリの値段だったから、いくらプラチナとは言ってもすごく細くてチャチな作りだったけど、今の俺の精一杯の気持ちだった。
「へえ…」
 気に入ったのか気に入らないのか、そう言ったままじっと指輪を眺めているアラタさんに、俺はいたたまれなくなって
「あの、別に無理にとは…」言いかけると、
「貰ってやるよ」
 すっと指輪を手に取ると、躊躇うことなく左手の薬指にそれを嵌めた。
「…アラタさん…」
 一瞬視線が絡み合い、でもアラタさんはすぐに俺に背を向けて今度は自分のコートのポケットに手を入れた。
「今日だけだぞ」
 俺は後ろからアラタさんを抱き締めてその髪に顔を埋めた。
「それでもいいよ。でも、ずっと持ってて」
 アラタさんはくすぐったそうに首を竦めると、俺の手の甲にそっとキスをした。


 海岸沿いのレストランで昼食を済ませて、再び車は高速道に戻った。ハンドルを握るアラタさんの指に光るリングがやけに目に眩しくて、でも俺は見る度に幸せを噛み締めた。
 去年の段階では指輪を贈ろうなんて思いも寄らなかった。俺の一方的な片想いなのに、アラタさんにしてみれば指輪なんて荷が重過ぎると思ってたから。
 でも今は…。


 ホテルに着いたのはもう陽も沈みかけた頃だった。
 駐車場で車を降りると、アラタさんはトランクからブティックの紙袋を取り出した。
「ほら」
 差し出されて受け取り、中を見るとラッピングされた包みが入っていた。
「俺に?」
「他に誰がいるんだ?」
「うそ…。ありがとう、アラタさんっ!」
「うそってことないだろ。俺はそんなにケチじゃない」
「そうだけどさ、まさか俺になにかくれるなんて思ってなかったんだもん。ここの宿泊費持ってくれただけでも十分なのに…」
「なら返せよ」
「嫌です。せっかくもらったんだから」
 奪い返そうとするアラタさんの手から守るために紙袋を高く掲げて言うと
「ほんとにいつまでもオコチャマだな。それでもうすぐ高校卒業か?」
 呆れたようにアラタさんが笑う。
「ちゃんと授業に出てるし試験だってクリアしてるんだから嫌でも三月になれば学校は追い出されるっすよ」
「大学生になれるかは怪しいけどな」
「それは…。でも俺すっげーがんばってるんすよ」
 アラタさんの大学を目指して、それはもう先生たちも驚くほど成績が上がったのだ。
「結果が出るのを楽しみにしてるよ」
「うん」
 俺にはものすごく高いハードルだけど、あともう少しがんばって、またアラタさんと一緒に過したい…。


 部屋に案内されて一通りの説明を受けると、俺はほっと息をついた。
 こんなホテル泊まったことないから何しろ緊張していたのだ。
 入り口で挨拶されてアラタさんがフロントでチェックインしている間にきょろきょろと辺りを見回し…。イブじゃなくてもやっぱり今日はカップルが多いな、なんて思ってたらポーターに荷物を奪い取られ(?)いつの間にかにこやかな案内係に先導されて部屋に着いていた。
「そんなに緊張するなよ。ここからはふたりだけだ」
「そっか。じゃあもう旅館の仲居さんみたいにお茶持ってきたりするこもないっすよね」
「そんなに心配ならこれをドアの外に掛けとけよ」
 アラタさんは笑って「DON'T DISTURB」の札をドアノブから外した。
 受け取った俺はすぐに外に出て札を掛け、中から鍵を閉めて…。
「アラタさんっ」
 思い切り抱き締めて口唇を重ねた。
 始めはゆっくりとついばむように、そして徐々に深く。
 舌先が触れるとアラタさんは一瞬ビクリを体を震わせたけど、少しずつ俺を受け入れて自分から舌を絡めてきた。
 久しぶりのキスはめまいがするほど甘く切なかった。


 そのままキスの先まで進もうとした俺に、
「そんなにがっつくなよ。まだ夜は長いんだぞ」
 自分だって結構ノッてたくせに、キスの余韻に浸る間もなくアラタさんが言う。もう少し甘いムードを味わわせてくれてもいいのに…。まあ、ここでウットリされたら俺の方がビックリだけど。結局俺は、こんなアラタさんが好きなのだ。
「あ、そういえばプレゼント! 開けてもいいっすか?」
「好きにしろよ」
「じゃあ遠慮なく」
 俺はソファに座って丁寧にラッピングをほどいた。
 現れたのはあったかそうなカシミヤのセーター。着ていた自分の安物のセーターを脱ぎ、さっそく身につけてみる。サイズ、ピッタリだ。着た感じは軽いのに、すごく暖かい。
「ねえアラタさん。似合う?」
 窓から外を眺めていたアラタさんは俺の言葉に振り向いて、ふわりと微笑んだ。
「ああ。渡せて良かった」
「え?」
「なんでもないよ。それより真行寺。夕食はどうする?」
「あ、もうそんな時間か。俺としては夕食前に食べたいものが…」
 言った俺にアラタさんはニヤリと笑って
「おあずけ」
 部屋のキーを手にドアに向かう。
「そんな…」
 さっきのキスで思い切り火が点いちゃったのに…。
「外で食べるか」
「はあ…」
 クローゼットからコートを取り出したアラタさんに俺は逆らえるはずもなく、黙ってあとを付いて行くしかなかった。


 このホテルの最上階にもレストランはあるけれど、なにしろ高級だし、そういったマナーに慣れていない俺としては外の普通のレストランの方がありがたい。ファミレスだっていいくらいだ。
 結局俺たちは少し車を走らせて、ファミレスよりは格上の、でも肩が凝ることのないイタリアンのレストランで食事をした。

 部屋に戻ってふと窓から外を見ると、そこには煌く色とりどりの光があった。
 ディズニーランドで打ち上げられた花火がちょうど良い位置に見える。
「アラタさん、花火!」
「ああ…」
「綺麗っすね」
「そうだな」
 窓を開けてバルコニーに出るとアラタさんも付いてきた。
 隣に並んだアラタさんの手を握る。アラタさんも珍しく嫌がらずにされるがままになっている。
 手を繋いだまま、ふたりで夜空に咲く大輪の花を見上げた。美しく花開いては次の瞬間には消えてしまう儚い光の花。アラタさんと一緒だと余計に綺麗に見える気がした。
「ねえアラタさん。来年の夏はどこかの花火大会に行こうよ」
「気の早い話だな。そもそも来年の夏にはお前ちゃんと大学生になってるんだろうな」
「またそれを言う…。がんばってるって言ったじゃん」
 ちょっといいムードになったかと思うとすぐにはぐらかすようなこと言うんだから。
「…考えておくよ」
 アラタさんは一瞬だけぎゅっと俺の手を握ると、パッと離して部屋に戻って行った。


 順番にシャワーを浴びて
「もうおあずけはナシっすよ」
 ベッドに座ったバスローブ姿のアラタさんを抱き寄せた。
 アラタさんはくすっと笑って俺のバスローブの紐をスルリと外す。
 艶を帯びた瞳で見上げられ、堪らなくなって口唇を重ねる。
 そのままそっとベッドに押し倒し、俺もアラタさんのバスローブの紐を解いた。
 
 俺の弾んだ息遣いと抑え気味のアラタさんの吐息。
 派手に声を上げることはないけれど、潤んだ瞳や敏感な場所に触れる度に跳ね上がる体が全身で俺を誘っていた。
「好きです、アラタさん…」
 耳元に囁くと、閉じた睫毛がわずかに震えた。
 久しぶりの行為で押さえが利かない俺を、アラタさんのほうは久しぶりでツラいはずなのに、何度も受け入れてくれた。


 翌朝、清々しい気分で目を覚ますとすでに隣にアラタさんの姿はなく…。
 でもここは祠堂ではないので、さすがに置き去りにされていた訳ではなかった。
 部屋を見回すともうすっかり準備を整え、荷物をまとめているアラタさんがいた。
「おはよーアラタさん」
「おはよう。やっと起きたか」
「ごめんなさい…」
「いいよ別に。チェックアウトまではまだだいぶ余裕がある」
 そう言ってアラタさんは手を後ろに回し、ベッドに起き上がった俺の元へ来てふわりとキスをした。
 ―――珍しい。アラタさんのほうから、こんなに優しいキスをしてくれるなんて…。
 ニヤケた俺にアラタさんは小さな包みを差し出した。
「これ、お前にやるよ」
「え? だって昨日も貰ったのに…」
 朝の光を浴びてアラタさんの左手のリングが光る。
 昨日は今日だけって言ってたのに、まだ嵌めてくれてたんだ。
「昨日のは去年の分だ。渡しそびれたからな」
 …え?
「去年って…。用意してくれてたの?」
「まあな」
「でも…」.
「済んだことだ。もう気にしてる訳じゃない」
 微笑んだアラタさんを見て、なにかがチクリと胸を刺した。

 去年のクリスマスイヴの夜。
 消灯間際になって葉山サン不在の270号室を訪ねた。
 でもアラタさんはいつにも増してそっけなくて…。
 目も合わせてくれないアラタさんに耐えられなくて部屋を出てしまった。
 そしてそのあとギクシャクしてしまった関係を修復出来ないまま卒業式を迎えた。
 俺はもうこれで会えないんだと覚悟を決めていた。
 だけど―――。


「開けてみろよ」
「うん…」
 細長い箱を開けるとそこにはシンプルなクロスのペンダント。
「…ありがとう、アラタさん…。大切にする…」
 そう言って嵌めようとしたけれど、慣れないせいでなかなかうまくいかない。
「やってやるよ、ほら」
 アラタさんは俺からチェーンを受け取ると、後ろに回って留め金を嵌めてくれた。
「アラタさん…」
「首輪だよ。飼い犬が、逃げないように」
「そんなことしなくても…。俺、どこにも行かないのに…」
「真行寺…」
 アラタさんが後ろから手を回して凭れかかってきた。肩口に顔を埋めてじっと動かない。
 最近時々、本当にごくごく稀にだけど、こうして甘えるような仕草をすることがあって、その度に俺の心臓は跳ね上がる。
 どこか不安を押し隠すようなその行動の訳を俺はわかってあげることが出来ない。
 だから俺は何度でも想いを伝える。
「ずっと好きだよ、アラタさん」
 言った俺に、アラタさんはいつものようになにも答えなかったけれど、首筋にそっと口唇が触れた。まるで「俺もだよ」と言葉を返すように。
 ―――ああそうか。もしかして、教えてあげたほうがいいのかな。
 ちゃんと伝わってるからって。ほとんど感情を口に出さないアラタさんにとっては、伝わらない想いこそが不安なのかもしれない。

「アラタさん。俺、隠してることがあるんだ」
「なんだよ」
「言っても怒らない?」
「さあな。訊いてみないとわからないな」
 アラタさんは俺から離れて隣に腰掛けた。
「言ってみろよ」
 探るように俺を見つめる瞳が不安げに揺れる。
「あのさ、俺、起きてたんだよ、あの時…」
「あの時?」
「卒業式の、夜」
「なっ…」
 アラタさんの目が驚いたように見開かれ、ほんのりと頬が染まった。
「気付かない振りしてごめんね」
 でもアラタさんは怒るわけでもなく、俺から目を逸らすと小さく「そうか…」と呟いた。
「ねえ、来年のイヴこそは一緒に過ごそうね」
「…そうだな」
 俺はアラタさんを抱き締めた。


 そんな先の約束が出来るようになるなんて、思いもしなかった。あの日まで。
 卒業式の夜、これで最後と覚悟を決めて共に過ごした270号室で、眠りに落ちる寸前にアラタさんが囁いたひとことのお陰で俺は先に進むことが出来たんだ。
 うっかりすると聞き漏らしてしまいそうな小さな震える声で言った、最初で最後かもしれないアラタさんの言葉。
 目を開いてしまったらすべて消えてしまいそうで、夢か幻になってしまいそうで、俺は寝たふりをしたまま寝返りをうって枕に顔を埋めてしまったけれど。本当は涙が溢れそうだったんだよ。
 ずっと心に刻んでおくから。だからもう心配しなくていいよ。
 ちゃんと、伝わってるから―――。





―――好きだよ、真行寺…



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文中のどこかに「去年のクリスマス~卒業式の夜 アラタさんSIDE」へのリンクがあります。
簡単ですのでご興味のある方は探してみてください♪
ただし、クリスマスに不似合いな暗さで、しかもアラタさんがすごく弱気ですので
そういうのが嫌いな方は探さないでください♪
ちなみに隠してはありますがHがある訳じゃありませんのでその辺は期待しないでね(笑)

* 表にupして隠しリンクを外しました *



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