+++ もう恋なんてしない +++



 伝えたい言葉があった。
 祠堂で過ごす、最後の聖なる夜に伝えるはずだった。
 でも―――。



 終業式を翌日に控えたその夜、約束していた訳ではないのに当然のように真行寺は270号室へやってきた。
 どこから見てもクリスマスプレゼント、な包装の箱を持って。
「何しに来たんだよ」
 ついいつものように冷たい言葉を返してしまう。
「サンタからの宅配で〜す!」
 酒でも飲んで来たんだろう、やけに明るく包みを手渡された。
「それはどうもありがとう」
 俺はそれを受け取ると、中を見るでもなくそのまま机の上に置いた。
「アラタさ〜ん。開けてくれないんすか? 受験の時風邪ひかないようにって一生懸命選んだのに…」
「あとで見るからいい」
 いったいなにを選んで来たんだか。楽しみではあるけどそんな素振りを見せられるような俺じゃない。そのまま机に向かって参考書に目を戻した。
「アラタさん、冷たい…」
「今更なに言ってんだよ」
「いつにも増して冷たい…」
 真行寺が後ろから俺を抱き竦める。それだけで鼓動が早くなった。
 好きだと認めてしまってから、こんな些細なことでも動揺してしまう自分に苛立ちさえ覚える。
 俺は詰めた息をそっと吐き出した。
「来いよ。どうせお前の目的はそれなんだろう?」
「なっ…。そればっかりじゃないっすよ!」
 そんなことは痛い程わかってる。お前の真剣な気持ちは誰よりもよく知っている。
 だから俺も伝えたい。でもそう簡単に態度を変えることは出来なくて。
 今日ならば、今日こそはと心に決めていた。
 抱かれながらなら言えるだろうか。クリスマスイヴという特別な夜の甘いムードに酔わされた振りをして、ずっと隠して来た真実の言葉を伝えることが出来るだろうか。
 俺は回された手を振りほどいてベッドへ向かった。
「来いよ…」
 もう一度言って強く腕を引いた。押し倒される形で口唇が重なる。
「アラタさん…好きだよ…」
 熱に浮かされたような瞳で囁かれ、目を閉じる。
『俺も…』とひとこと言えばそれで済むことなのに、なんでこんな簡単な言葉が出て来ないんだろう。
 シャツの中に忍び込んだ手が敏感な部分をなぞって、思わず吐息が漏れた。
「…アラタさん…」
 ボタンが外され、露になった体に真行寺の舌が這い回る。
「…ん…」
 俺は歯を食いしばってその快感に耐えた。
「アラタさん…?」
 いつまで経ってもノッてこない俺を真行寺が切なげな目で見つめる。
 至近距離にあるその瞳には俺だけが映っていた。
 …そんな目をするなよ。見ていられなくて視線を外した。
「ねえ…なんで目を逸らすの?」
「………」
「アラタさん…こっちを見てよ」
 そっと頬に触れ、顔を前に向けさせられる。
 一瞬だけ目が合って、でも俺は次の瞬間目を閉じた。
 今日は、お前の顔をまともに見れない。
 本当は俺もお前が好きなんだと伝えようとするごとに、お前の顔が眩しく見えて視線を合わせることが出来ない。
 まるでガキの初恋のようだと自分でも可笑しくなるけど。

 覆いかぶさっていた真行寺の体がふいに離れる。
 そして俺のシャツのボタンを丁寧に下まで留めると、自分も立ち上がって、俺に背を向けたまま一度脱ぎ去った服を着始めた。
「…やめるのか?」
「アラタさん、乗り気じゃないみたいだし。無理させるつもりないから、俺」
「真行寺…」
「約束してた訳じゃないのに勝手に来てゴメンなさい。今日は帰るっす」
「そんなのいつものことじゃないか」
「でも今日は…。特別な日だし。って、そう思ってるのは俺だけっすね。でも、こんな日に、そんな避けるようにされたんじゃ、さすがに俺だって…」
「別に避けてなんて」
「いいっすよ、もう。わかったから…」
 …わかった? なにが? 俺はまだなにも言ってないのに…。
「…なにが、わかったんだよ」
 それだけ言うのがやっとだった。
 真行寺はふっと小さく笑うと
「おやすみなさいっす。アラタさん、またね」
 部屋を、出て行った。

 またっていつだよ。もう、明日から冬休みだぞ。
 なんで俺をひとりで残して行くんだよ。
 俺はなんで待て、と言えなかった?
 …特別な夜なのに。今日はその中でも、とびきり特別になるはずだったのに。
 こんなはずじゃ、なかった。
 一生の思い出になるような、そんな夜にするつもりだった。
 なのに………。

 部屋の片隅に残されたブティックの紙袋。
 あいつに似合うだろうと思って買ったセーターが入っている。
 渡すことも出来ずにポツンと床に残されて。
 胸の奥がキュッと音を立てて全身を痛みが駆け抜ける。
 背を向けて出て行く姿がフラッシュバックして、枕に顔を埋めた。
 俺はシーツを強く握り締めてその痛みに耐えた。


 結局冬休みの間は一度も連絡がなかった。自分からもしなかった。
 時折胸を締め付ける苦い想いを受験勉強に没頭することでなんとかやり過ごした。
 三学期が始まっても、以前のように真行寺が勢いよく270号室に飛び込んで来るようなことはなく、距離を置かれていることを実感した。
 それでも…。『カラダだけの関係』は健在で、俺は求める心に歯止めを掛けることが出来ずに何度かの夜を共に過ごした。
『好きです、アラタさん…』
 真行寺の囁く言葉を、かつて一度も疑ったことはなかったけれど。今は以前とは違うぎこちなさがある。偽りの言葉のような気がしてならなかった。
 ―――もうお前の心はどこかへ行ってしまったのか…?
 笑顔の少なくなった真行寺を前に、俺は更に冷たい態度で接することしか出来なくなっていった。
 悪循環なのはわかっている。でも一度伝える機会を失ってしまった想いには行き場がなくて…。
 会っていても俺の不安は増すばかりだった。


 そしてそのまま、自分の想いも別れも告げないまま卒業式を迎えた。
 その夜も俺は真行寺を呼び出した。
 何度も求めて、その度に応えるお前。
 でも満たされない心。
 掴めなくなってしまった真行寺の気持ちを追いかけて、縋り付いた。
 真行寺は俺を見ない。
 ただ欲望のままに俺を貫く。
 交わす言葉もない。
 コレハ カラダダケノ カンケイ―――。
 言外にそう言われているようで…。 
 散々自分が言ってきたのに、それがどんなに辛いことか思い知らされた。
 お前の瞳は俺を映さない。
 会うたびに呆れるほど告げられた『好きです』という言葉も、俺を見つめる甘い眼差しも、もうここにはない。
 ただ、体を繋げるだけ―――。
 それでも俺は、お前のすべてを心に刻み付けておきたかった。


 何度目かの行為のあと、真行寺はひとつだけ優しいキスを落として眠りに就いた。
 別れのキス…そんな言葉が頭に浮かんだ。

 なにも言わないんだな。
 なにも聞かないんだな。
 『卒業しても会おうね』
 去年までのお前ならきっと笑顔でそう言っただろうに。
 
 これがお前の出した答えなら、俺からはもうなにも言えないよ。
 きっともう、会うこともない。
 あのクリスマスの夜に、伝えていたら変わっていたんだろうか。
 俺たちには別の未来があっただろうか。

 ―――でももう遅い。
 お前はもう、俺のことなど見ていないのだから…。

 本当にこれで最後なんだ…。
 一度でも口にすることができればきっと、長い間お前を苦しめることもなかった。
 今ならわかるよ。
 お前がずっとどんな気持ちでいたのか。
 お前、強いよなぁ……。
 俺はこんな苦しい片想いには、耐えられそうにない。


 ごめん、真行寺。ごめん…。
 今までごめん。
 ずっと嘘付いててごめんな。
 苦しい想いをさせてすまなかった。
 口に出して謝ることさえ出来ない俺のことなんか、許さなくていいけど。
 俺が去ったらもっといい相手を見つけろよ。
 お前が本気を出せば、きっとどんな未来だって手に入れられる。

 なにも出来なくてごめん……
 なにも言えなくてごめん……
 
 俺は真行寺の寝顔を見ながら心の中で謝り続けた。
 未来の幸せを祈りながら………。


 だけど最後に、一度だけ言わせてくれよ。
 ずっと大切にして来た想い、ちゃんと言葉にして。
 もう、伝わらなくてもいいから。
 届かなくても、いいから、一度だけ………。


「…好きだよ、真行寺…」





 涙が、零れた―――。




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