+++ 夢幻の果てに +++



 忙しいのはわかってる。ゆっくり会えないのも仕方ない。
 わかってるけど…。ざわめく心はどうしようもない。
 今日も見てしまった極上の笑顔。電話ボックスの中、回線越しの相手に微笑みかけるアラタさんを見るたびに苦しくなる。

『だからって、真行寺くんに隠れて浮気なんてしてないと思うよ』
 以前葉山さんがそう言ってくれたけど。俺もそのときはおちゃらけてごまかしたけど、浮気してるとかしてないとか、たぶんそれ以前の問題なのだ。
 アラタさんが他の誰かを好きになったりカラダを許したりしたところで、俺にはきっと怒る権利もない。
 どうしてこんな関係を選んだのか。アラタさんの求めているものがわからない。そもそも、アラタさんにとって俺はなんなんだろう。
 いつもは考えないようにしてる疑問や目を背けてる現実が頭の中を駆け巡って眠れない。
 見えない相手への嫉妬とやり場のない怒り。ふがいない自分に対しての怒りがやがてアラタさんへの憎悪になりそうで怖い。
 好きだから…好きだからこそ憎くなる。メチャクチャにしてしまいたいと思うほど。
 誰かのモノになってしまうくらいだったら、いっそこの手で壊してしまいたい。限界まで痛めつけて、二度と立ち上がれないくらいボロボロになれば、縋ってくれるだろうか―――。
 果てない狂気の妄想に溺れそうになる。寸でのところで現実に意識を引き戻し、俺はベッドを抜け出すと同室者が寝入っているのを確認してからそっと部屋を出た。


 頭を冷やそうと少し散歩に出るつもりだったのに…。
 会いたいときにはちっとも会えないのに、こんな時間にこんな場所で会ってしまうのもなにかの巡り合わせなんだろうか。
 非常灯だけが灯る薄暗い廊下の先から、アラタさんが歩いて来た。
「アラタさん…」
 アラタさんはシッというように人差し指を口に当てる。
 俺は立ち止まり、静かにアラタさんを待った。
 アラタさんが少し先のトイレを指差す。
 ああ、あそこでなら…少しくらい話をしても聞かれることはない。
 俺は先に立って歩き、トイレのドアを押した。

「どうしたんだ? こんな時間に」
「や、ちょっと寝付かれなくて…」
「俺もだよ」
 こんな時間だというのに、寝付かれないという割には機嫌良さそうにアラタさんが微笑む。
 でもその微笑みはいつもの、誰にでもわけ隔てなく見せる類のもので。
 最近見かけるようになった電話越しの相手に向けるあの極上の笑みとは明らかに質の違うものだった。
 俺に限っては有料のはずのスマイルを、なんの躊躇いもなく見せてくれたというのに、俺は胸が苦しくなって俯いた。
「…どうした?」
 いつになく優しい声にも、なぜだか今日は切なくなる。俺は黙って首を振った。
「おやすみのキスでもして欲しいのか?」
 そう言って笑いながら俺の顎を掴み顔を近づける。
 その時、俺の中でなにかが弾ける音がした。

 ―――誘ったのは、あなただよ…。

 アラタさんの口唇が触れる前にその身体を思い切り抱きすくめてこっちから口唇を奪った。口腔をかき回し舌を吸い上げる。
「んッ…」
 唐突な激しいキスから逃れようと腕の中でアラタさんがもがくけど、そんなことには構わず更に舌を絡め取った。
 薄いパジャマの生地の上から胸の突起を探し当て撫で回す。
「ふぅ…ん…」
 鼻から漏れる苦しげな吐息に余計に誘われる。
 ツンと立ち上がった乳首を摘み、下半身に手を伸ばす。不自然に隆起したそれに気を良くした俺はパジャマの上から思い切り握って手を上下させた。
 アラタさんが激しく首を振り、口唇を引き離す。
「は…ぁ…な、に、するんだよ…!」
 荒い息を吐きながらアラタさんがきつく睨む。そんな瞳も今日の俺には火に油をそそぐようなものなのに。
「アラタさんだって感じてるジャン。しばらくしてないもんね」
「そんなこと…アッ!」
 首筋に舌を這わせて熱い塊をさわりと撫で上げると声が上がった。俺の手を掴み、必死で動きを静止しようとする。
 そんなことしたってやめない。もう止まらない。
 そのままゆっくりと身体を移動させ、個室に押し込んだ。後ろ手に鍵を閉める。
「誰が来るかわからないから、声出さないでね」
「おい、ふざけるなよ」
「ふざけてない」
 それ以上抗議の言葉を発せないよう、また口唇を塞いだ。
 パジャマをたくし上げ、今度は直に胸に触れる。ビクン、と反応するカラダ。耳たぶを軽くかみ、顎のラインに沿って舌を這わせながら手は更に敏感な場所をまさぐる。
「…やめろよ…こんなところですることじゃないだろう…」
 掠れた声で囁きながらまだ抵抗をやめようとしないアラタさんを力任せに壁に押し付けた。
 隣の個室との仕切りの木製の壁がガタンと大きな音を立てる。
「逃がさないから…」
 狭い空間の中、これ以上動くこともできない場所に追い詰められ、アラタさんの瞳に怯えが浮かぶ。
 俺はアラタさんの前にひさまづくと一気にパジャマごと下着をずり下ろした。
 すっかり上向いたそれに手を伸ばし幹をしごくとみるみる体積を増してくる。
 付け根から先端までゆっくりと何度も舌を往復させると内股がかすかに痙攣するのがわかった。
「……ッ」
 アラタさんが俺の頭を掴んで引き剥がそうとするけれど、そんな仕草にさえ益々煽られる。
 先端に盛り上がった透明な雫を舌ですくい、付け根のふくらみを柔らかく揉みしだく。
「はぁ…あ……」
 そしていきり勃った雄の印を口をすぼめてゆっくりと飲み込んだ。
「アッ!…ぁぁ…や、め…」
 舌を絡め、きつく吸いながら頭を上下させると俺の頭を掴んだアラタさんの手に力が入るのがわかった。
「ふっ…ん、ん…くっ」
 さっきまで抵抗するのに必死だったアラタさんの手が俺の髪をかき回す仕草に変わる。
 熱く昂ぶったソレが、口の中で出口を求めて暴れてる。
 その時。

―――キィィ、パタン

 ドアの開く音に、俺たちは一瞬硬直した。
 こんな夜中に…誰かが用を足しに来たらしい。
 見上げたアラタさんは、甘く淀んだ瞳のまま小さく首を振った。やめろと、そういうことなのだろう。
 だけど俺はその無言の抗議を無視して行為を再開した。
「…ッ!!」
 アラタさんの首が仰け反る。壁が小さくカタンと鳴った。
 その音で他に人がいることに気付いたらしい誰かの足音が個室に近付いてくる。
 アラタさんは俺の髪を鷲掴みにして必死で引き剥がそうとしている。
 痛かったけど、今の俺にはそれすらも快感で、誰に知られるかわからない危うさに酔いしれた。

「おい、具合悪いとかじゃないよな?」
 唐突に掛けられた声。誰だか知らないが、おせっかいなヤツもいるものだ。俺はもちろんそれには答えずに、そっと音を立てないよう熱い塊を口の中で堪能する。
「……ッ」
 小さく漏れたアラタさんの声にびくっとしながらも俺はその行為を続けた。
 足音の主はしばらく中の様子を伺っていたようだったが、やがて諦めたのか手を洗う水音がし始め、そして出て行った。

「はぁ…あ…ぁ…」
 詰めていた息を吐き出しながら目を閉じたアタラさんはすごく綺麗だった。
「ねえ、今スッゴイ感じてたでしょ」
 言いながら、もう限界まで張り詰めたそれに舌を絡める。
「ぅんっ…バカなこと言う、な」
「今度は俺も楽しませて?」
 乱暴に肩を掴んで後ろ向きにさせアラタさんの腰を引く。不自然な体勢に耐えられなくなったアラタさんがバンッと壁に手を付いた。
「…もう、やめよう、真行寺」
 いつものアラタさんからは想像もできないような力ない声が堪らない。
 俺の手から逃れようと必死で腰を動かすけれど、所詮力で俺に敵うはずもなく。
「ここでやめたらツライのはアラタさんのほうじゃない?」
 前に回した手で固くなったモノを撫で上げた。
「…ぅ…ん…」
「ね、だから…」
 片手で腰を抱え、うなじから首筋に舌を這わせながら、空いた手のひらで乳首をゆっくりと撫で回す。
「ふっ…」
 そのまま脇腹を辿って腰骨をなぞり、下のふくらみにやんわりと手を伸ばす。
 わざと熱いモノには触れずに、何度もそうして手を往復させていると、やがてアラタさんの腰がゆらゆらと揺れ始めた。
「んん…ンッ…クッ…」
 鼻にかかった甘い声。顔を覗き込むときつく口唇を噛んでいた。
「だめだよ、そんなに噛んだら傷付いちゃう」
 そっとその口唇に指を這わせ、その指を口の中に突っ込んだ。
「グッ…ゲホッ…」
 荒々しく口内を掻き回すと、苦しそうな息が漏れる。
「これから大事なところに入るんだから、ちゃんと舐めてね」
 耳元にそっと囁いた。
「ふぅ…ん……」
 イヤイヤをするように首を振りながらも、アラタさんは俺の指に舌を絡めてきた。俺はその仕草に満足し、腰に回した手を離して愛撫を再開した。支えがなくなってもアラタさんは崩れ落ちることはなく、自ら腰を突き出すようにしてしっかりと足を踏ん張っている。
 さっきまでは本気で嫌がってたのに、諦めたのか、それとも欲望に忠実になることを甘受したのか、もう抵抗する気配はなかった。
 十分に湿った指を口から引き抜いて、妖しくゆらめくアラタさんの腰をもう一度しっかりと固定し、その指をひくつく蕾にグッと突き立てた。
「イ…ツッ…!」
 アラタさんのカラダが強張る。いくら湿ってはいても、いつもの潤滑剤のように滑らかな訳ではない。多少の抵抗を感じながらも俺はアラタさんの中を掻き回した。
「あ…ヤ、ダ…やめ……」
 震える声で言いながら全身を引き攣らせる。きっと快感とは程遠い感触なんだろう。それでも熱い塊に手を伸ばし早急にしごくと、萎えかけたそれはまたすぐに力を漲らせ始めた。
「うぅ…ん……」
 苦痛だか快感だかわからない吐息が漏れる。俺は下着から自分の固くなったモノを引っ張り出すと、まだ十分に広がったとは言えないそこから指を引き抜き、代わりにそれを押し当てた。
「はぁ…ん…やだ…ムリだって…」
 そんな抗議の声はキレイに無視して、グイッと一気に中へ押し込む。
「イ…ッ…! 苦し……」
 首をぶんぶんと振りながら苦痛を訴え腰を引こうとするけれど、俺は更に奥へと腰を進めた。
「ああ…あっ…あっ…」
 …すごくキツイ。いつもよりも密着して締め付けられる感触に堪らなくなる。
 動かずにはいられなくて、激しく腰を打ちつけた。
「や…だッ! も、しんぎょうじ…!」
 バシバシとカラダがぶつかり合う音が密室にこだまする。壁に付いたアラタさんの手がきつく握られて、微かに震えているのがわかった。
「…なん、で………」
 なんで? もうそんなことは俺にもわからない。ただ、嫉妬と、怒りと、寂しさと、切なさと。
 訳のわからない狂気を止められなくなっただけ。…あなたが、誘ったから…。

 苦痛から少しでも逃れようと、自然とずり上がるアラタさんの腰を抱き直し、更に激しく抽挿を繰り返す。
「アッ…! あ、あぁ…」
 背中が綺麗に仰け反って、少しだけ、アラタさんの声音が変わった気がした。
 ガクガクと震える膝。全身が小刻みに痙攣している。
 いつもと違う角度での挿入のおかげで未開発のスポットを見つけたのかもしれない。
 同じ場所を狙って何度もこすりあげてみる。
「ふぅ…ん・んぁっ…」
 アラタさんの声が次第に熱を帯びたものに変化していった。

 とめどなく漏れる甘い声とゆらめき始めた腰に魅了される。
 いつもよりキツイ締め付けと、誰に知られるかわからない場所での交わりという緊張感に惑わされ、もう限界がそこまで来ている。
 俺は抽挿を繰り返しながら片手を前に回し、アラタさんの熱い塊にそっと触れた。
「ああ…っ!!」
 その瞬間一際大きな声が上がり、慌てて空いた手で口を塞いだ。
「…ッく…」
 腰の支えがなくなり崩れ落ちそうになるカラダを、アラタさんは自ら保とうとしている。
 右手でアラタさんのモノをしごき上げながら、激しく突き上げた。
「うう…んっ……んっ……」
 俺の手のひらの隙間からわずかに漏れるくぐもった吐息。息のかかった左手が熱い。

 抱き締める腕もなく、腰だけで繋がったまるで獣のような交わり。
 ―――メチャクチャにしてしまいたい
 アラタさんの先端から雫がどんどん溢れてくるのがわかる。
「ふぅ…ん…ンッ・んん……」
 ―――いっそこの手で壊してしまいたい
 親指でそれを塗り込めながら、俺の動くリズムに合わせて擦り上げる。
「はぁ…あ…ぁっ…ァッ…」
 ―――ボロボロになれば、縋ってくれるだろうか。
 甘美な妄想が炸裂する。
「あっ…も、イ・くっ…!!」
 限界を訴えたアラタさんに、俺も最後の階段を昇りつめるべく腰を打ち付ける。
「んんン……ッ!!」
 右手に生暖かいものが溢れた瞬間、俺もアラタさんの中に欲望を解き放っていた。


 俺が自分自身を引き抜き手を離すと、アラタさんのカラダはパタンとその場に崩れ落ちた。
 手を床に付き、肩で息をしながら俯いてなにも言わない。
 どんなに熱く激しい行為をしても、ことが終わってしまえば現実が戻ってくる。
 心の隅が、冷めていく。
「―――ごめんね、アラタさん」
 屈みこんで後ろから声を掛けると、突然振り返ったアラタさんに思い切り頬を叩かれた。
 パシン、と乾いた音が狭い空間に響き渡る。
 俺は呆然とアラタさんを見つめていた。
 アラタさんの喉仏がゆっくりと上下し、僅かに顎が震えたかと思うときつく睨んだ瞳から一筋だけ涙が零れ落ちた。
「ごめん………」
 慌てて抱き締めようと伸ばした手を振り払われる。
「触るな」
 低く呟き、壁の助けを借りて立ち上がる。
 アラタさんはなにごともなかったかのようにきっちりとパジャマを整え、少しだけ顎を上げて言った。
「どけ」
 言われるまま、俺は奥の狭い空間へと移動した。
 じっと俺の行動を観察しているようで、それでいてどこか遠くを見ているような瞳。
 アラタさんが自分で個室の鍵を開けて出て行く。
 俺もそのあとを追った。
 手洗いの蛇口を捻る手が震えているのがわかったけれど、俺にはもうどうすることも出来なかった。
 バシャバシャと顔を洗ったアラタさんは、備え付けのペーパータオルで水滴を拭い、俺に一瞥もくれないままその場を出て行った。


 ―――ボロボロになれば、縋ってくれるだろうか。
 馬鹿げた幻想に囚われた行為の結末は無残だった。
 どんなにメチャクチャにしても、痛めつけても、あの人の心が俺を求めることはない。求めるとしたら、きっとそれはカラダだけ。
 そんなの、わかってたことなのに。ずっと言われてたのにわざわざ確認するようなことして、俺ってホントに馬鹿だよなぁ…。
 ふっと溜息が漏れた。

 止められなかった狂気の欲望。見せ付けられた現実。
 こんなに好きなのに…好きだから…。
 二度と傷付けるようなことはしたくない。
 でもいつまたこうして自分でも抑制できない想いが爆発するときが来るかわからない。
 だったら俺は。
 俺は、あの人から離れたほうがいいんだろうか。
 あなたの為に。
 ただ、あなたを見守るだけの存在になれたら………。


 そのときの俺には、それが最善の選択肢に思えてならなかった―――。


 
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