+++ もっと・きっと・ずっと +++

act 1



  二月に入って三年生の殆どが受験で帰省してしまった寮内は閑散としていて、イヤでも卒業が近付いていることを実感させられる。
 そんな中、真行寺は祠堂に入学してから初めてと言って良いような甘い時間を過ごしていた。
 託生のいない270号室に毎日通う。もちろん託生も受験で帰省したのだが、その後ギイを追ってニューヨークへ行ったのだ。ニューヨークの音大の下見も兼ねて。日本とアメリカ、どちらに進学するかはまだ決めていないらしい。
 そんな訳で託生が帰って来るのは卒業式の直前になる。
 一方三洲の方は早々に推薦で合格を決めているので、授業らしい授業もなくなった今は部屋でのんびりしていることが多かった。
 その間ほぼ一ヶ月、真行寺は夕食が終わると三洲の元へと日参しているのだった。
 今までなら、「うるさい」「邪魔だ」「用はない」…そんな言葉で真行寺を迎えていた三洲も、今は当然のように真行寺とふたりっきりの時を過ごしている。
 特に何をする訳でもなく、ただお互いに雑誌を眺め、合間に他愛もない会話をし、何の目的もなく過ごす時間。真行寺はずっとこんな関係に憧れていた。「カラダの関係」なんかなくたって、一緒にいるだけで幸せな、まるで本当の恋人同士のような…。もちろん時には朝まで一緒に過ごすこともあったけれども。
 でも。ずっと三洲といられて、それはとても幸せなことで、そうは思っても、時折見せる三洲の寂しげな笑顔に不安になる。
 花火が燃え尽きる直前に一際美しく光を放つ、そんな光景が目に浮かんだ。
 だから一番肝心なことを聞けずにいた。
 この幸せを壊してしまいそうで怖かった。
 もう少し、もう少ししたら聞こう―――。

『卒業しても、会えるよね?』

 だけど結局何も聞くことが出来ないまま、明日には託生が帰って来る。
 今日こそは聞かなきゃならない。そう決心して口を開いた。出来るだけさりげない口調で。
「ねえアラタさん」
「ん?」
「明日には葉山さん帰って来るっすね」
「そうだな」
「じゃあ、ここでこんなふうに会えるのも今日が最後だね」
「ああ」
 三洲は読んでいた本を閉じると真行寺に向き直った。
「でも、卒業しても、」
「なあ真行寺」
 やっと言いかけた言葉を突然遮られる。
「はい?」
「満足したか?」
「え?」
「この一ヶ月。俺は無用な時間を全部お前にあげたよ。満足したか?」
 微笑みながら問われて、真行寺は三洲の真意が掴めない。
「そ、そりゃあ…。ずっとアラタさんといられて、俺が嬉しくない訳ないでしょ? すごく満足してるよ」
 真行寺の胸の中を不安の影が支配する。なんで、そんなこと聞くの?
「じゃあもういいだろ?」
「…何が?」
「もう、十分だろ?」
「だから何が…」
 何が言いたいの? 言葉が続かない。鼓動が早くなる。
「この二年間、俺は弱みを握ったのをいいことにお前を縛り付けて来た」
「そんなふうに思ってないよ」
「俺はお前を足蹴にして、ヤリタイ時だけやって、それでストレスを全部お前にぶつけた」
「違うよ! 俺の方が勝手にアラタさんのことを追いかけ回してたんじゃん。なんでそんなこと言うんだよ」
「それはお前が俺にそう思わされていただけだ」
「そんな…そんな訳ないだろ?!」
 違うのに。確かに三洲を、心の底から好きなのに…。
「だから。最後くらいお前にも夢を見させてやったんだよ」
「夢?」
「そう、夢。なかなかいい夢だっただろ? 『大好きなアラタさん』とずっと一緒にいられて満足だっただろ?」
 真行寺の目が信じられない物を見たかのように大きく見開かれる。
「そんなふうに思ってたの? この一ヶ月、浮かれてる俺の横で、そんなふうに思ってたのかよ!」
 思わず声を荒らげる。でも怒りよりも、ただ哀しかった。三洲は小さくフッと笑うと
「俺は誰にも借りは作りたくないんだ。だからこれでいいだろう? 借りは返した。もう終わりだよ」
 そう言って誰のことをも惹きつける極上の笑顔を見せた。惹きつけておきながら、それでいてこれ以上踏み込むことを拒絶する為の笑顔を前に、真行寺は言葉を失った。
「そろそろ出て行ってくれないか」
 黙り込んでただ三洲を見つめることしか出来ない真行寺に、さっきまでの笑顔の痕跡さえも残らない冷ややかな眼差しでそう言って、三洲は煩わしそうに髪をかき上げ背を向けた。
「…ずっと、俺のこと騙してたの? 今までの二年間って全部芝居だったの…?」
 楽しいことも、たくさんあったのに。素のままに微笑んでくれたことだって、特別に思ってくれてるかも知れないって、もしかしたら好きになってくれたかも知れないって思えるようなことも、数え切れない程あったのに…。それが全部幻だったの?
「そういうことだ。話は終わった。早く出て行けよ」
 三洲はあくまでも冷たく言い放つ。
「アラタさん…。俺はそんなの信じないから! なんと言われても好きだから!」
 見つめる三洲の背中がわずかに震えたように見えた。でも返事は返って来なかった。
 真行寺はそれ以上なす術もなく、想いを残したまま270号室を後にした。


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