+++ その夜の事情 +++

真行寺×三洲 side



 せっかくの日曜だというのに、試合が近いからと言って朝から晩まで部活に勤しんでいた俺は、ペコペコになった腹を満たすべく、剣道部の連中とテーブルを囲んですさまじい勢いで今夜のメニューを体内に詰め込んでいた。


 ………なに、今の。
 聞くともなしに聞いていた隣のテーブルの一年生の会話。
 肩を抱いて歩いてて、寄り添うように寝てたって?
 アラタさんたら俺の葉山さんになにするんだよ!……じゃなくて、俺のアラタさんなのに〜とも言えないし、あーーーなんだかどっちに妬いてるのか自分でもよくわからないことになってるぞ。


 モヤモヤした気持ちを抱えたまま部屋に戻ると、机の上にポツンと期間限定パッケージの缶コーヒーが置かれていた。
「え、何これ……」
 雑誌で見て欲しいと思ったけれど、とても買いに行く時間が取れそうになくて諦めていたのだ。それがナゼ今ここに……?
 缶コーヒーを片手にひとり首を捻っていると夕飯を終えた同室者が戻ってきた。
「あ、おかえり」
「ただいま……っと、それ、さっき三洲先輩が来て置いてったぞ」
「えっ! アラタさんが? ウッソ。俺が言ったの覚えててくれたんだ……」
「葉山先輩からだって言ってたけどな」
「あ……葉山サン? なんだ、そっか。そうだよな」
 アラタさんがわざわざ俺のために買って来てくれる訳ないもんな……。ちょっとガッカリ。でも葉山サンが覚えててくれたのは素直に嬉しい。



「こんばんは〜!」
 そうしてお礼のためにいそいそとやってきた270号室。就寝前に一目でもアラタさんの顔を見られれば明日への活力になるってもんだ。だがしかし、
「こんばんは、真行寺くん。三洲くんならいないよ」
 がーん。葉山さんのつれない言葉に打ちのめされたけど一瞬で立ち直り本来の目的を果たすことにする。
「いえ、今日は葉山さんに用っす。コーヒー、わざわざありがとうございました。覚えててくれたんっすね」
「ああ、あれ? でもあれって三洲くんが買ったんだよ。言ってなかった?」
「え……。アラタさんが? でも、俺のいない間に来たみたいで、葉山さんからだって言われたって」
「まったく素直じゃないなあ、三洲くんは」
 そう言って葉山さんは苦笑いした。
「確かにこの缶を見つけたのはぼくだけど、買ったのは三洲くんだしコートのポケットに入れて大事に持ち帰ったのも三洲くんだよ」
「え……いやまさか、アラタさんに限って俺のためにそんなことをしてくれるとは何かの間違いっす」
「そんな思いっきり否定しなくても。三洲くんだってちゃんと真行寺くんのこと考えてると思うよ」
「ややややや……」
 まさかそんな。でももしそうだったら嬉しい。葉山さんが思っているほどではなくても、そのほんの百分の一でもアラタさんが俺のいないところで俺のことを考えてくれることがあるのなら、もうそれだけで俺は天にでも昇れるのだ。だけどそこでふとさっきの食堂での会話を思い出した。
「それはそうと葉山さん。なんかアラタさんと葉山さんがいい感じだって噂になってたっすよ。俺なんか、誰から見ても片想い認定なのに……」
「なんだいそれ」
 いじけ気味に言った俺に葉山さんは心底心当たりがないというふうに目を丸くした。
「や、別に本気にした訳じゃないっすけどやっぱ気になるっていうかなんていうか……」
 もちろん俺だって本気でふたりがどうにかなるなんて思ってはいないのだけど。
「あのさ、真行寺くん。もしよかったら消灯後にここに来て直接三洲くんに確かめてみたらどうかな」
「消灯後?」
「あ、うん……ぼく、ヤボ用で今夜は抜け出す予定だから」
 ほんのり赤面しながら言った葉山さんの事情も察し、俺はあとでもう一度270号室を訪ねることにした。



 消灯後、270号室に忍び込むとアラタさんはひとりで勉強机に向かっていた。こういう時に邪魔をすると機嫌が悪くなるのは百も承知だ。ましてや今日は約束していた訳でもないのだ。さっさと礼だけ言って退散したほうが良いだろう。俺はあれやこれやと巡らせていた妄想を振り切り、アラタさんの背中に話しかけた。

「こんばんは、アラタさん」
「ああ、真行寺か」
 そう言って振り返ったアラタさんの顔は穏やかで、予想に反して"少しはお喋りしてもいいぞ"モードのようだ。
「缶コーヒーのお礼に来ました。ありがとうございました。すっげー嬉しかったっす」
「葉山からだと言ったはずだけどな」
「でも葉山さんはアラタさんからだって言ってました」
「あれは葉山が買ったんだよ」
「ええ〜。もう、どっちが真相なんすか、アラタさん」
「あの缶を見つけたのは葉山。買おうとしたのも葉山。でもたまたま小銭を切らしていたから代わりに俺が小銭を投入しただけだ」
 なんだか禅問答をしている気分になってきた。
「でもそれを持って帰ってきて届けてくれたのはアラタさんなんすよね?」
「それはそうだけどな」
「ならあれはアラタさんからってことにします。そのうえ葉山さんの愛情入りってことで!」
「もう好きに解釈しろよ」
 呆れたように言ったアラタさんの頬が少し緩んだ気がした。
 アラタさんが参考書を閉じ、勉強机のスタンドの灯りを消す。どうやら今日の勉強は終了のようだ。おもむろに立ち上がりベッドの端に腰かけたアラタさんは、俺に隣に座るように目で促した。その視線の色っぽさにドキリとする。

「それにしても珍しいっすね、ふたりで出かけるなんて」
「たまたま用事があったからな。葉山は崎にドタキャンされて暇そうにしてたし」
「へぇ。そうだったんすか。でも一年生の間で噂になってたっすよ。アラタさんと葉山さんが怪しいって」
「なんだよそれ」
「なんかふたりがすごいいい雰囲気で肩を抱いてたとか寄り添って寝てたとか」
「ああ、なるほど。まあ見る人が見ればそういう受け取り方もできたかもしれないな」
 フッと笑ったアラタさんが事も無げに言う。
「ええ! じゃあホントにそんなにイチャイチャしてたんすか?」
「そんな訳ないだろ。そもそも葉山も俺もそんな感情は一切ないんだから」
「まあそうっすよね」
 それは納得。だけど気持ちが追い付かない。アラタさんと葉山さんが肩を寄せて眠るビジュアルを想像するだけで心の中のモヤモヤが治まらない。
「ああもう、俺の愛しの葉山さんに……」
「なにか言ったか、真行寺」
「あ、いえ、じゃなくって、ア、アラタさんは、俺の……」
 自分でも何がなんだかわからなくなって来たが、そう言いかけたところでアラタさんの顔が目の前数センチのところに迫ってきた。そして綺麗な指がゆっくりと俺の頬をなぞり顎まで下りてくる。
「俺が、なんだって?」
 ん? というようにわずかに首を傾け、同時にグイッと顎を引き寄せられた。ふいに口唇が重なる。
「ア…アラタさ……」
「お前が、俺の所有物なんだ。忘れるなよ」
 アラタさんが耳元で囁く。その熱い息に全身の血が逆流した。
「うん。わかってる……」
 そのままトンと俺の肩に顎を落としたアラタさんをぎゅっと抱き締めた。
「大好き、アラタさん」
「……葉山にまで妬くなよ、ばか」
「うん」
「ま、それはお互いさまだけどな」
「え?」
 なにかを思い出したようにクスクスと笑うアラタさんの息がわずかに耳にかかる。口を動かす度に肩に伝わる振動がくすぐったくて首を竦めた。
「真行寺――」
 顔を上げたアラタさんが小さく俺を呼んだ。そしてそっと閉じられた瞼。
 俺はその瞳にキスを落としながらゆっくりとアラタさんをベッドに横たえる。

 いつもいつも魅力的な人だけど、嫉妬を覚えたあとに見る今夜のアラタさんはいつもより数段魅惑的に見えて、俺の理性はいつも以上に見事に吹き飛んだ。


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