+++ 透明な言葉 +++

〜Kanemitsu side〜



 風邪をひいた。バカは風邪をひかないって、あれ、嘘だったんだ。じゃなくて、俺ってホントはバカじゃないのかな…。
 ああ、高い熱と薬のせいで頭が朦朧としている。しかもまるっきり声が出ないし。せっかく今日はデートだったのに。
 生徒会長の任期を終えたアラタさんは、この頃だいぶ生活も落ち着いて、もちろん受験勉強があるから暇な訳ではないけど、それでも一緒に過ごせる時間がとても多くなった。
 元々人前では柔和で温和な人だから一見全く変わりはないけれど、少しだけ、ほんの少しだけ、俺にも優しくなった気がする。やっぱり今までは相当気を張ってたんだろうな…。
 さっきまで入れ替わり立ち代り見舞いに来ていた友人達は日本シリーズの観戦だと言って同室者を伴ってみんなで部屋を出て行った。それでやっとゆっくりできた訳だけど、うつらうつらしながらそんなことを考えているうちに大変なことに気付いた。
 そうだ、デート! もう約束の時間過ぎちゃってるよ…。ヤバイ。行けないと誰かに伝言を頼みたかったけど、まさかこんな時間に人目を避けるような場所で待ち合わせをしてるなんて言える訳ないし、どうしようって考えているうちにうとうとしてしまったのだ。
 行かなくちゃ…。俺は重い体を引きずって服に着替えると待ち合わせの場所に向かった。


 道場の裏手の雑木林。通い慣れた道だけど、今日の俺にはやけに遠く感じられた。足がふわふわと宙に浮いてるみたいで歩いている実感がない。でもアラタさんが待ってるから。きっと怒ってるだろうな…。
 やっとたどり着いた林の中で、アラタさんは大きな木の根元に座って自分の膝に頬杖を付き、空を見上げていた。その横顔が不安げに見えたのは気のせい?
 俺の足音に気付いてアラタさんがこっちに顔を向けた。ふっと表情が和らいだ気がした。
「ごめ…ゲホッ! ゴホッ!…」
(ごめんアラタさん)遅れてゴメンって謝ろうとしたけど、無理に声を出そうとしたせいで咳き込んでしまった。
「なんだ真行寺。風邪か?」
 少し眉を顰めながら俺の方へ向かって来る。
(近付いたらうつっちゃうよ)言いたくても、咳が止まらない。俺は喉を指差した後、両手でバッテンを作った。
「声が出ないのか?」
 うんうん、と頷く。
「まったく…。バカは風邪ひかないって、あれ嘘か?」
 あ、俺と同じこと考えてるって思ったら可笑しくて笑いたかったけど、笑うとまた咳込んでしまいそうで、首を横に振るだけにした。
「じゃあお前、自分はバカじゃないとでも言いたいのか?」
 アラタさんがわざと意地悪な口調で聞くから、俺は大きく頷いた…途端に足元がふらついてアラタさんの方に倒れ込んでしまった。
「重い、真行寺。どけ…」
 アラタさんが俺を受け止めて言いかけたけど、ゆっくりと体を離しながら、でも回された腕はそのままに、急に真顔になって俺の顔を伺うように見る。
「お前、熱あるだろ」
 そっと、アラタさんの手が俺の額に触れる。
「ずいぶん高そうじゃないか。なんでそんな体で来たんだよ」
(だって、アラタさん待ってると思ったから…)怒ったように言うアラタさんに言い訳したくても声が出ない。
「こんな時くらいすっぽかせばいいだろ。俺はお前のこと散々すっぽかしてるんだから。ほら。」
 アラタさんは自分の着ていたジャケットを脱いで俺の肩に引っ掛けた。
(それじゃアラタさんが寒いでしょ)驚いて、目で訴える。
「俺はいいから早く着ろよ。送るから、部屋に戻ろう」
 俺は言われるままにジャケットを着込んだ。アラタさんサイズのそれは俺には少し小さかったけど、アラタさんの温もりが残っていてとても暖かかった。
「歩くのが辛いなら寄りかかっていいぞ」
 アラタさんが俺の手を引く。引かれるままに寄りかかり、寄り添って寮までの道を歩いた。
 ああ、こんなことが出来るなら、たまには風邪もいいかも…。


 部屋に戻るまで全く人には会わなかった。今日はみんな野球観戦に忙しいらしい。こんな山奥の娯楽の少ない祠堂では、プロ野球の日本シリーズと言ったら普段野球を見ないやつまで一緒になってお祭り気分になっている。
 まあ、それを狙っての今日のデートだったんだけど。
 部屋に戻るとアラタさんは俺をベッドに座らせて
「ちゃんと着替えておかないと余計にひどくなるぞ。どこだ?」
 タンスに目を向ける。俺はパジャマの入った場所を指さした。
 シャツを脱ごうとボタンに手をかけたけど、寒気で震えた指が言うことを利かない。
「しょうがないな」
 そんな俺の様子を見てアラタさんは綺麗な指でひとつずつボタンを外してくれた。夏休みの俺の部屋での出来事を思い出す。風邪なんかひいてなければこのまま押し倒せるのに…なんて不埒なことを考えていたら
「変な想像するなよ」
 睨まれてしまった。
 そのまま手伝ってもらって着替え終わると、アラタさんは俺をそっと抱き寄せてベッドに横にしてくれた。
 今日のアラタさんはすごく優しい。母親にもこんなふうに介抱された記憶のない俺はジワリと胸が熱くなった。
(あ・り・が・と・う)唇をゆっくりと動かして伝える。
「礼を言われる程のことでもないさ。具合の悪い飼い犬の面倒を見るのは当然のことだろう?」
 意地悪な言葉とは裏腹な優しい微笑みに、熱のせいだけではなく体が熱くなった。
 アラタさんは枕元に置いてあった冷えピタを一枚取り出すと、そうっと俺の額に乗せた。
「今日はゆっくり休めよ」
 そう言って立ち上がる。
「まっ…ゲホッ! ゴホッ!」
(待って。まだ行かないで)言おうとしたけどまた咳に遮られてしまった。息が苦しくてうずくまるとアラタさんは優しく背中をさすってくれた。
「まだ行かないから。無理に声出すのやめろよ」
 そう言われても、普段声を出すなんて当たり前のことだから咄嗟の時は無意識に出そうとしちゃうんだよ。やっと息は整ったけど、すごく喉が痛い。喉がカラカラだ。
「水持って来てやるから待ってろ」
 え…。さっきから俺の思ってること全部わかってるみたいに、欲しいものを与えてくれる。嬉しいけどちょっと怖いよ。
「ほら。一気に飲むとまたむせるぞ」
 俺はアラタさんの忠告に従って少しずつ痛む喉に水を流し込んで再び横になった。
「なんだかお前が大人しいと妙な感じだな」
 アラタさんが笑う。俺は思わず苦笑いした。それはそうだ。いつもは俺が殆どしゃべってて、アラタさんは適当に(?)相槌打ってるだけってことが多いから。でも今日はひとこともしゃべってないのにずっと会話してるみたいな不思議な感覚。
「少し物足りない」
 え…? いつも俺がじゃれつくと迷惑がるくせに、そんなこと言われたら調子に乗っちゃうよ?
「ま、いつもはうるさ過ぎるけどな」
 なんだ。やっぱりうるさいと思ってるのか。ガッカリ。
「もう眠れよ。お前だって早く良くなりたいだろ?」
 うん、と素直に頷く。早く治してアラタさんと話がしたいよ。
 アラタさんはヘッドボードのスタンドを点けると部屋の明かりを消しに行った。確かにダルイし眠いけど、もう少しアラタさんと一緒にいたいのに。
「なに捨てられた子犬みたいな顔してんだよ」
(だって…。アラタさんもう行っちゃうでしょ?)
「…お前が寝付くまでいてやるから」
 ふわり、と前髪に触れる。ホントに今日は優しいんだね。こんなに優しくされたことないから戸惑ってしまう。期待してしまう。期待なんかしたら、後で痛い目を見るのは自分なのに。でも、もしかしたらアラタさんも…って思っちゃうよ。
 ジワッと熱いものがこみ上げて視界が霞んだ。
「熱のせいで涙腺弱くなってるな、お前」
 目を細めてクスリと笑う。
「俺が優しくしたら変か?」
 変とか、そういうんじゃないけど。ああ、やっぱり大好きだよアラタさん。早く言葉で伝えたい。アラタさんは返事を読み取ろうとしているのか、じっと俺を見つめていた。
(好きです、アラタさん)言いたくて、動かそうとした唇をふいに塞がれる。優しく触れるだけのキスに胸の奥がぎゅっとなった。
「…俺もだよ…」
 離れ際、囁くようにアラタさんが言った。
 ―――俺も? 俺もって、何が? 俺は今好きって言いたかったんだよ?
「…俺も…、変だと思ってる。やっぱり慣れないことをすると調子が狂うな」
 …なんだ。そういう意味か。俺が言いたいこと全部、わかる訳じゃないもんね。一瞬でも勘違いした自分が恥ずかしくて目を閉じるとさっきから瞳を覆っていた涙がこめかみを伝った。
「バカだな」
 笑い混じりに言いながら、零れ落ちた涙を拭ってくれる。俺はその手をそっと掴んだ。
「ちゃんと布団掛けとけよ」
 そのまま手を布団の中に戻されて、離れようとする。離したくなくて握る手に力を込めると、アラタさんもぎゅっと握り返してくれた。
「甘えてるな、お前」
 繋いだ手はそのままで
「俺が優しいのは今日だけだぞ」
 心地よい声が響く。
「早く治せよ、真行寺」
 わかってるよ。俺だって、早くあなたを抱き締めたい。
 好きだよアラタさん。好きで好きで、もうどうしようもないくらい…。
 例え受け入れて貰えなくても、何度でも言いたい。溢れる想いを言葉にしたい。


 ―――俺はアラタさんの温かさを感じながら、いつの間にか眠りに付いた。



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