+++ もっと・きっと・ずっと +++

act 4



 ぼくは来た時とは全く逆の重い足取りで寮への道を歩いていた。外はすっかり暗くなっている。
 ひとり残った温室で色々なことを考えた。ギイは人の恋路に口を出すなと言うけど、このまま何もせずに卒業してしまったら絶対に後悔する。自分も、あのふたりも。
 ギイとぼくは卒業後も一緒に歩む道を選んだ。もちろんその結論にたどり着くまでの道のりは平坦なものではなかった。喧嘩にもなったし、一度は別れることも覚悟した。でもやっぱり一緒にいることが将来何よりもプラスになると、そう思う今の気持ちを大切にしようと結論付けたのだ。
 それは自分達にとっては最善の選択だったけれど、それが誰にでも当てはまるとは限らない。
 たぶん三洲は自分達がぶつかったのと同じ壁にぶち当たったのだ。相手を想う気持ちが強過ぎて、相手の将来を思って選択した別れ。自分達は意見をぶつけ合ってそれを乗り越えたけれど、あのふたりにはそれがない。きっと本音で話し合うことなんてなかったに違いない。
 いつでも決定権は三洲にあったから。
「そんなの絶対良くないよ…」
 ぼくは溜息混じりに呟きながら、意を決して270号室の扉を開けた。
「おかえり」
「…ただいま」
「随分遅かったな」
 机に向かって答辞の原稿に目を通しながら顔も上げずに三洲が言う。
「…真行寺くんと話してたから」
「ふぅん」
 いつものポーカーフェイス。気のない返事にカチンと来る。
「三洲くん、ぼくに嘘ついただろ」
「嘘?」
 ようやく三洲が向き直る。
「特別なことは何もなかったって言ったじゃないか」
「ああ。それが何? 嘘なんか言ってないよ」
 嘘つき。本気で腹が立って来た。真行寺にあんな辛い想いをさせておいて何でこんなに平然としていられるんだ?
「じゃあ、じゃあ三洲くんにとっては真行寺くんと別れることは特別なことでもなんでもない訳?!」
「別れる? そもそも恋人同士でもないのに妙な言い回しするなよ、葉山」
 三洲が露骨に眉を顰める。
「どうしてこんな最後になってまでそんな言い方するんだよ。ちゃんと付き合ってたじゃないか! 大切に想ってたじゃないか!」
「そんなに怒鳴るなよ。俺は好きじゃないと最初から言ってただろう?」
「嘘ばっかり…。本当に三洲くんって嘘ばっかりだ! いっぱい仮面付けて、いつもどれが本音かわからなくて。そんなんじゃ誰も本当の三洲くんがわからないじゃないか。誰にもわかってもらえないなんて、そんなの、そんなの…」
 寂しすぎる…。ぼくの目からドッと涙が溢れた。一年の時の誰からも理解されなかった自分と重なる。
「なにも葉山が泣くことじゃないだろう?」
 急に三洲の声が優しくなる。
「だってっ…!」
 三洲はぼくの手を引いてベッドに座らせると、自分も隣に腰を下ろした。
「少し落ち着けよ」
 苦笑交じりに言いながら傍らのティッシュでぼくの涙を拭う。そしてゆっくりと話し出した。
「俺はね、葉山、ずっとそうやって生きて来たんだよ。それを不自由に思ったこともないし、これからだって変えるつもりはない。それでいいんだよ。それが俺なんだから。葉山が哀しむことなんて何もない」
「三洲くんはそれで良くても周りの人はそうは思わないよ。ぼくだって本当は三洲くんのことわかりたかったけど、それはぼくには無理だから。でも三洲くんが全部を見せてくれるのを望んで、しかも受け止めてくれる人がいるだろう?」
 ギイがぼくを受け止めてくれたように。
 三洲はしばらく無言でぼくを見つめていた。そして小さく溜息を付く。
「葉山…。あいつは…どうしてた?」
「そんなこと聞いてどうするのさ。元気だったって言えば安心する? それとも泣いてたって言えば満足するの?」
「何もそんなことを言ってるんじゃないだろ」
 珍しく、少し困惑した表情を浮かべて三洲が目を逸らす。
「…三洲くんの為に…三洲くんの為に強くなろうと思ったって、言ってたよ」
「………」
「でも、それももう必要ないからって、泣いてたんだ」
 三洲はゆっくりとぼくに視線を戻して何かを言おうとしたけれど、開きかけた唇はそのままぎゅっと結ばれてしまった。
 三洲の瞳がわずかに揺れる。
「ねえ、本当にもう必要ないの? 三洲くんだって本当は真行寺くんのこと好きなんでしょ?」
「…俺は…、葉山、」
 言いかけた時、突然ノックの音が響く。ぼくは反射的にはい、と答えてしまった。
 ドアが開き、章三が顔を出す。
「葉山、ギイが帰って来たから一緒に食事…」
 ベッドに並んで座ったぼく達は驚いて顔を向ける。そのただならぬ様子を見てさすがの章三も固まった。
「…どうしたんだ?!」
 驚きを隠せない問い掛け。
「何でもないよ」
「何でもないって…お前泣いてるじゃないか。三洲が泣かしたのか?」
 三洲にきつい視線を向ける。三洲はふぅっとひとつ溜息をついて立ち上がりドアに向かう。すれ違いざま、章三の肩をポンと叩くと
「悪いな。後は任せた」
 らしくない弱々しい声。
「おい! 三洲?!」
 章三は足早に出て行く三洲をドアの外まで見送っていた。
 そしてこちらも深い溜息。さっきまで三洲が座っていた位置に腰を下ろす。
「さてと…。何があったんだよ」
「だから何もないってば」
「喧嘩したのか?」
「三洲くんとぼくで喧嘩なんて出来る訳ないじゃないか」
 格が違い過ぎる。主に日本語の活用において。
「卒業の別れを惜しむって感じでもなかったぞ?」
「そういうことにしといてよ」
「お前なぁ…。ちゃんと話さないとギイに会わせないぞ?」
 葉山のこんな顔見せたらどんなことになるか想像もしたくない。
「いいよ別に。これからいくらでも会えるから」
「頑固だな、葉山」
「悪かったな」
「それに強くなった」
「強くて泣くかよ」
「それもそうだ」
 章三が笑う。
「ま、それだけ僕に言い返す元気があるなら心配ないな。聞かないでおいてやるから顔洗ってギイのゼロ番に行っとけよ。食事は適当に持って行かせるから。ヤツは先に学食に行ってるし、帰って来るまでにその顔直しとけよ」
「え、そんなにヒドい?」
 ぼくはグシグシと目を擦る。
「冷たいタオルでも当てときゃ直るだろ。じゃあな」
 章三はぼくの頭をクシャッと掻き回すと270を出て行った。

   
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