夕飯時の学食は、卒業式の為に戻って来た三年生があちこちで談笑の輪を作っていた。
270号室で足止めされてしまった章三は一足遅れで入って来たものの、混み合う学食の中でもその集団を見つけるのは容易かった。
何しろ華やかだ。各階の階段長が全員揃っていて、それに加えて3Bの級長やらもうすぐ大学生とは思えない、未だ少女のような風貌の高林やらがいては目立たない訳がない。
章三はギイの隣の空いた席にお茶だけ置いて席を確保する。
託生を誘いに行ったのを知っているギイは、章三がひとつ分しか席を取らないのを見てひとこと「どうした?」と声を掛けた。
「取り込み中だったよ。後でそっちに行くってさ」
「そうか」
小声で交わされる会話。なにもこのメンバーで、今更主語抜きでコソコソと話す必要もない気はするが、この一年間の癖というのもあるし、何よりギイはここを無事に退寮するまでは少しの油断もするつもりはないらしい。
章三がトレイを手に席に戻ると、駒澤がやって来た。
「遅かったね」
野沢が微笑み掛ける。
「具合が悪い奴がいて部屋まで付いて行ったから」
「そうなんだ。早く食事取っておいでよ」
駒澤は素直に頷いて、次にギイを見た。
「あの、さっきはありがとうございました」
「いや、いいよ。大丈夫だったか?」
「ただの寝不足らしいんで」
「そっか。なら良かった」
このふたりももうすぐ離れ離れになっちまうんだな。祠堂には何組もそういう付き合いをしている奴らがいるが、いったい卒業後も続くカップルはどのくらいいることやら…。
結局三年間そういう話には縁がなかった、というより縁を作るのを拒絶して来た章三でも、やはり友人の今後については多少なりとも気にはなるのである。
その時は何とはなしにその会話を聞いていた章三だったが、食事が済んで、さてギイにさっきの葉山の状況をどう説明しようかと考えているうちに、ふとあることに思い当たった。
葉山があれだけ頑なに口を割らなかった理由。もしかしたら…。
章三は人が疎らになって来た食堂を見回した。でも目当ての人物はそこにはいなかった。
…悪いことを言ってしまったかも知れない…。
「ギイ、ちょっと」
一緒に食事をしていた連中が散り散りに自室へ帰って行く中、最後まで残っていたギイを章三は談話室に連れ出した。
談話室は混んでいたが、逆に多少騒がしい方が話を聞かれなくて済むから好都合だ。
それぞれに飲み物を買って空いた席に付く。
「すまん、ギイ。さっき少し嘘を言った」
紙コップのコーヒーに口を付けながらギイは章三を見る。
「なんのことだ?」
「葉山、取り込み中だったってのは本当なんだが」
「何かあったのか?」
ギイの目つきが鋭くなる。
「怒るなよ? たぶん誰も悪くない」
「もったいぶるなよ」
「ああ、悪い。そういうつもりじゃないんだが…」
やっぱり言いにくい。章三は一口コーヒーをすすってから切り出した。
「葉山、泣いてたんだよ」
「…何があった?」
小声ながらギイの声に凄みが増した。
「理由は教えてくれなかった。でも、想像は出来る気がする」
「なんだよソレ。託生はひとりだったのか?」
「いや、三洲が一緒だったよ。すぐに出て行ったけど」
「…で? 章三は何をどう想像したんだ?」
ギイが探るように章三を見る。
「三洲も様子がおかしかったんだ。今にも…」
頼りなげに揺れた瞳。きゅっと結ばれた口元はわずかに震えていた。あんな顔は初めて見た。それなのに、追い討ちを掛けるように言ってしまった言葉を今更ながら章三は後悔していた。
―三洲が泣かしたのか?―
この一年間、三洲だって自分と一緒に葉山を支えて来た仲間だったはずなのに。
「さっき駒澤が言ってた、具合が悪かったのって真行寺か?」
「ああ。ちょうどオレが寮に戻って来る途中でバッタリ会ったんだよ。駒澤がひとりで支えてるのが大変そうだったから部屋まで…あ…」
そこまで言ってギイが納得顔になる。
三洲の様子、真行寺の様子、託生の様子。考え合わせれば確かに想像は容易かった。
「また託生のおせっかいが始まったか…」
ギイが溜息を付く。
「そんなところだと思う。だからギイ、誰も責めるなよ」
「わかってるよ。どうせ託生はそういうことに関してはオレが止めたって聞かないし。後でちょっと話してみるよ」
「ああ、そうしてやってくれ。葉山、先にギイの部屋に行ってるはずだから。食事持ってってやれよ」
「わかった。悪かったな、章三」
「いや。こんなことも卒業したらもうないのかと思うと寂しいくらいだよ」
ふたり揃って小さく笑う。
―――卒業したら、それぞれに別の道を歩く。相棒という関係を一生崩したくはないけれど。それでも今までのような付き合いは出来ない。
祠堂と言う温室のような環境で過ごした三年間。
卒業する全ての人々に、夢の終わりはやって来る…。
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