+++ もっと・きっと・ずっと +++

act 8



 講堂のわきのベンチでひとり夜空を仰いでぼんやりとしていた真行寺は、突然の人の気配に驚いて顔を向けた。
「真行寺?」
「あ、ギイ先輩…。こんばんは」
「もう体、大丈夫なのか?」
「昨日はすんませんでした。ただの寝不足だったんでもう大丈夫ッス」
 真行寺は照れ笑いを返す。
「ならいいけど。で、こんな時間にこんなところで何してるんだ?」
「今日一日さぼって寝てたから、さすがに寝付けなくて」
 ギイは笑って「そうか」と言うと、
「一緒に座ってもいいか?」
 目でベンチの空いたスペースを示す。
「どうぞ。ギイ先輩こそ何してるんですか?」
 真行寺はギイが座りやすいように体をずらした。
「急にコーラが飲みたくなったんで買いに行こうと思ってな」
「わざわざ?」
「そうだよ。もう明日は卒業式だからな。思い立ったらいてもたってもいられなくなった」
「そうすか」
 わざわざこんな寮から遠く離れた自販機まで…。誰もいないと思ってここまで来た真行寺は苦笑せずにはいられない。
「真行寺とこんなふうに話すの初めてだなあ」
「そうっすね」
「三洲の手前、オレには近付きにくかったか?」
「そんなことないっすよ」
 特に避けていたつもりはない。ただ三洲との確執を知っていたから敢えて積極的に近付こうとは思わなかっただけだ。
「三洲にはなぁ、なんだか最後まで嫌われっぱなしだったからな」
「そんなこと、ないと思います。なんだかんだ言ってもアラタさんはギイ先輩のこと認めてたから」
 なぜだか嫌っていたけれど、一目置いていたのも事実だと思う。
「そうか? オレにはそうは思えなかったけどな。まあ三洲のことに一番詳しい真行寺が言うんならそうなのかもな」
「別に詳しくなんかないっすよ」
 真行寺は自嘲気味に笑った。本当に三洲のことをわかっていたら今頃こんなことになっていない。二年間の付き合いの中でだいぶ把握したつもりだったけれど、でも結局三洲は心の深いところにあるものには決して触らせてくれなかったのだ。
「なあ真行寺」
「なんすか?」
 急にギイの声のトーンが変わった気がしてドキリとする。これ以上三洲の話はしたくないのに更に核心に触れる話題になりそうな予感がした。
「託生と三洲がケンカしたって言ったら信じるか?」
「え? あ…」
「思い当たる節があるみたいだな」
 あのふたりのケンカ。普段の三洲と託生の関係においてそんなことが起こるとは到底思えない。もしあるとしたらそれは昨日の温室での出来事を託生がなんらかの形で三洲に伝えたからだろう。
「……俺のせい…すか…?」
 自分が託生に打ち明けてしまったせいでケンカになったのだとしたら、ふたりに申し訳なくて仕方ない。でもあの時はいつも優しい託生を見ていたら、感情を抑えきれなくなってしまったのだ。他に話せるような人なんていなかったし…。
「そんな顔するなよ。ケンカってのはちょっとおおげさに言っただけだ」
「でも…」
「まあ多少行き違いがあったみたいだけどな。別にお前のせいじゃないよ。託生が勝手に納得いかないことを三洲にぶつけただけだ」
「…葉山サンって俺に甘いっすよね。俺は葉山サンのためにはなんにも出来ないのに…」
「そうでもないさ。いつもそばで楽しませてやってたじゃないか」
 一緒にいられなかった一年間、同室者も不在がちな託生にとって、ちょくちょく270号室に顔を出す真行寺の存在は大きかったはずだ。
「そうなんすかねえ」
「オレからも礼を言いたいくらいだよ」
「ギイ先輩…」
「だがまあ、お礼の代わりと言うのもなんだがな。三洲とのこと、このまま終わりにするなよ」
「でももうアラタさんは」
 言いかけた真行寺の言葉を遮るようにギイが言った。
「昨日の三洲の様子を訊いた感じだとどうもな。三洲も迷ってるんだと思うよ」
「迷ってる? アラタさんが?」
 真行寺は驚いてギイの顔を見つめた。
 そんなこと、あるんだろうか。あんなにハッキリキッパリ別れを告げられたのに…。
「三洲の考えてることはオレにはとんとわからないが、真行寺、お前ならわかってやれるんじゃないのか?」
「俺が…っすか?」
「そう。真行寺が。真行寺にしかわからないこと、あいつはたくさん抱えてるだろう?」
 ギイがふっと目を細める。
「俺にしか、わからないこと?」
「オレにはもう一度話してみる価値はあるように思えるけどな」
「ギイ先輩…」
「別れるにしたってちゃんと納得してないと、ふたりともいつまでも引きずるぞ」
 …確かに、この別れに納得できてる訳じゃない。三洲の言った言葉が真実だとはどうしても思えないから。それでもそれが三洲の出した答えならと、無理やり自分をごまかそうとしていたけれど…。
「考えてみます」
 そう言った真行寺の肩をポンと叩くと、ギイは「がんばれよ」と言って去って行った。



 卒業式も無事に済み、盛大な拍手と共に幕を下ろした謝恩会。下級生が花道を作り三年生を送り出す。
 お世話になった先輩や憧れの先輩に、花束や贈り物を手渡すチャンスでもある。
 真行寺の前を何人もの顔見知りの先輩達が通り過ぎて行く。
 そして案の定、たくさんの花束とプレゼントを抱えた三洲が真行寺の視界に入った。
 声をかける後輩達にいつもの柔和な笑みを携えたまま言葉を返す三洲を見ながら、でも真行寺はどうして良いかわからない。言いたいことがあり過ぎて、言葉に出来ない。
 まだ、迷っていた。本当にこれ以上三洲と話したところでなにか得るものがあるのだろうか。それ以前に三洲は自分の話など今更訊いてはくれないんじゃないだろうか。
 三洲の視線がすっと真行寺に向けられようとしたその時、真行寺はその視線を受け取る前に俯いた。
 三洲が近付いて来る気配を感じつつも、何もすることが出来なかった。
 ただ黙って、視線を落としたまま三洲が行過ぎるのを、身を硬くしてやり過ごした。
 ふわり、と花の香りが鼻腔を掠める。
 視界の端にわずかに映った三洲の足取りは、早まる訳でも緩まる訳でもなく、ただ何事もなかったかのように通り過ぎて行った。

 少し離れたところから一際大きな歓声が上がる。その声に誘われるように顔を上げると、色とりどりの紙吹雪を全身に纏った三洲の姿があった。少し驚いたように、でも嬉しそうに微笑む三洲の横顔。
 髪に付いた紙切れを、それを付けたであろう張本人の二年生が丁寧に取り払う。最後に残った一枚が中々取れないらしく、なにかを言ったそいつの肩に三洲は頭を預けた。
「アラタさん…!」
 そんな姿を見ているのが堪らなくなって、思わず後姿に呼びかけた。でもそれは賑やかな話し声にかき消され、三洲の耳には届かない。
 振り返ることもなく去って行く三洲を、真行寺は追いかけることも出来ずにただ見つめているしかなかった。


「真行寺くん」
 三洲の消えて行った方を見たまま立ち尽くしていた真行寺に声を掛けたのは託生だった。
「葉山サン…」
「この一年間楽しかった。ありがとう」
 そう言って差し出された手を取る。いつも通りの優しい笑顔に目頭が熱くなった。
「俺の方こそ…。色々ありがとうございました。これからも、電話とかしてもいいっすか?」
「もちろんだよ。連絡先教えるから、いつでも電話して来てよ」
「はい…」
 電話したところで、三洲のことを思い出して辛くなるだけのような気がするけど。でも託生との関係までも切りたくはない。
「なんて顔してるんだよ。らしくないよ。泣いても笑っても最後なんだからさ、思い残すことのないように体当たりしてみたら?」
「葉山サン…」
「真行寺くん、いつもまっすぐだったじゃない。最後までそれを通してみなよ」
 そう言われてハッとした。
「…そうっすね。こんなの俺らしくないっすよね」
 真行寺は照れたように微笑む。
「そうだよ。がんばって、応援してるから」
「はい。葉山サンも色々がんばってくださいね」
「また会おうね、真行寺くん」

 ―――最後まで自分らしく…。まっすぐに想いを伝えてみようか。
 託生の背中を見送りながら、真行寺はもう一度三洲と向き合う決意を固めた。


   
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