別れないでと縋るつもりはない。
続けたくない訳ではないけれど。
ただ、この二年間の関係の全てを否定するような三洲の言葉を信じたくないのだ。
…信じちゃいけないような気がした。いつも奥深くに隠された三洲の真意。ギイが言ったように自分にしかわからないと自惚れることはないが、それでも一番近いところにいたつもりだ。
わからないままだけど、でももしかしたら三洲はわかってくれる誰かを待っているかも知れないとも思う。
人間、たったひとりで生きていくことなんて所詮無理なのだ。他人のことをすべて把握するのは不可能でも、わかろうとする人間がいるだけでも救われるものだと思う。
…わからないけど。今の三洲にはそんなことさえ必要ないのかもしれないけど。
でもいつか三洲が立ち止まった時、振り返って自分はひとりじゃなかったと思い出してくれればいいと思う。
今、自分までもがふたりの関係を否定してしまったらなにも残らない。
いつか三洲が孤独に気付いた時に、少しでも自分との思い出が、与え続けた愛情が、支えになってくれればいい。
その為にはなんとしても三洲を捕まえて話しておく必要がある。今のままじゃ三洲のことを見限ったように思われてしまうだろう。
そうじゃないんだと伝えたい。
例えこの先ふたりの進む道が分かれるとしても…。
真行寺は花道を通り過ぎる卒業生の列が途切れたのを機に、三洲のあとを追うべく出口を目指して歩き出した。
「ちょっと待てよ、真行寺」
ぐいっと腕を掴まれて振り返ると、さっき三洲の頭の紙くずを払っていた生徒会役員の同級生だった。
「あれだけ生徒会室に出入りしてたんだ。もちろんここの片付け、手伝ってくれるよな?」
「いや、ちょっと用事が…」
「あとにしろよ。生徒会役員だけじゃ人手が足りないんだ。うちのクラスの運動部員はみんな手伝ってくれることになってる。お前は昨日休んでたから知らないだけで」
「え…」
見れば確かに同級生たちが生徒会長の元に集まり始めていた。
さすがにここで振り切ってひとりで抜け出す訳にはいかない雰囲気だ。
仕方なく真行寺は促されるまま後片付けの説明を受ける人の輪に入っていった。
謝恩会が済んで夕食を摂ったあと、卒業生は皆それぞれの宴会の会場へと繰り出して行った。
章三も風紀委員のささやかなお別れパーティの席に顔を出し、だがさすがに委員の性質上ジュースで乾杯、一時間ほど歓談しておひらきになった。
このあとはギイの部屋で気の置けない仲間達との宴会が待っている。
でもその前にやり残したことがある。おとといの晩の三洲の傷付いた表情が頭から離れなかった。
三洲に会いたくて昨日も生徒会室を覗いたが見つからず、結局謝れないままだった。
卒業式で答辞を述べた三洲はいつもとなんら変わりなく、謝恩会で突然壇上に上げられて挨拶を求められた時もそつなくこなしていたから、章三が思うほどに三洲のほうでは気にしていないのかもしれないとも思う。
それならそれに越したことはない。が、謝ったって悪いことはないだろう。
章三は賑やかな宴の声が響く生徒会室の扉をノックした。
「三洲、ちょっと」
「どうしたんだ、赤池。風紀の宴会じゃなかったのか?」
三洲の妙に明るい声に違和感を覚える。
「もう終わったよ。現役も混じってるからな。こっちはアルコールの類はなしだ」
「じゃあここで一緒に呑むか?」
「いや。これからギイの部屋で宴会だよ」
「ああ。葉山もそんなこと言ってたな」
にこやかな笑顔はいつもと変わりないのに、今日は作り物の印象があった。
「三洲、酔ってるのか?」
「酔うほど飲んじゃいないさ。こっちも現役が一緒だ。ところでなんの用だ?」
無理してる…そんな雰囲気が三洲から伝わってくることなどかつて一度もなかったのに、なぜだか今日はそれとわかってしまう。その一因が自分にもあるのかもしれないと思うと章三はいたたまれなかった。
「三洲。この間は悪かった」
「…なにが?」
「ひどいことを言ってしまった気がして…」
「別に。赤池が気にするようなことを言われた覚えはないよ」
「本当にそう思ってるのか?」
「ああ」
どんなに仲良く付き合っているように見えても、実際は何を考えているかわからないところがある。だから皆余計に三洲に惹かれるのだ。中には三洲の作られた外観を信じ切って憧れている奴らもいるだろうが。三洲がすべてを見せたところで、それでも付いて来る奴はいくらでもいるだろうに。
「三洲がそう言ってくれるなら僕も忘れることにするよ」
「なんだかひっかかる言い方だな」
章三の言葉に三洲はシニカルな笑みを浮かべる。
三洲を信頼していない訳じゃなかった。この一年間、大きな問題を抱えたギイと託生の為に三洲は惜しみなく力を貸してくれた。託生の同室者が三洲だったおかげで安心して任せることができた。そして三洲はそんな章三の思いを裏切ることなく、さりげなく気遣うことで託生を外敵から、そしてギイと思うように会えない寂しさから守って来たのだ。
なのに託生の涙を見た瞬間に考えるより先に口を突いて出てしまった言葉。章三にとっては習性みたいなものだったのだ。相棒と、その恋人を守るということは。
「お前の本音はいつもどこにあるかわからないからな。未熟な僕には汲み取ってやることが出来なくて歯痒かった。少しくらい頼ってくれたらいいのにとずっと思ってたよ」
「…赤池…」
呟いた三洲の口元から笑みが消え、ふいに瞳が潤んだように見えた。その視線が足元へ落とされる。
―――こいつ、こんなに小さかっただろうか。確かに長身な方ではない。でもその存在感が三洲を大きく見せていたのだろう。ずっと虚勢を張っていたってことか。そして今それが崩れようとしている。いったい今までどれだけ無理して過ごしてきたんだろう。そう思うと少しだけ胸が痛かった。
でも三洲のことだから、今それを指摘したりしたら余計に頑なになるに違いない。
「やっぱり、酔ってるんだろ」
「…ああ。そうだな」
章三は肯定されたことで逆に酔ってなどいないことを察した。
「三洲…」
「俺も葉山に謝らなくちゃな。気にしてただろう?」
そう言って顔を上げた時の三洲はもうすっかりいつもの三洲に戻っていたけど。
「まあな。でもケンカじゃないって言ってたぞ?」
「でも俺が泣かしたことに変わりはない」
「だからそれは…」
「赤池の言葉を気にして言ってる訳じゃないよ。本当に、俺が悪かったんだ」
「じゃあ一緒に行くか?」
「そうだな。明日は早くに出るつもりだから、そろそろここも切り上げようかとタイミングを見計らってたんだ」
「いいのかよ。主役が先に帰って」
「主役もなにも。卒業生はみんな平等だよ。少し待っててもらえるか?」
「ああ」
三洲が部屋に戻ってひとことふたこと声を掛けると、途端に皆が引き止めにかかった。
これは長引くかな…。そう思った章三の予想とは裏腹に、三洲は有無を言わさぬ笑顔のまま別れの挨拶をしてすぐに章三の元へ戻って来た。
あんなに頑張って運営してきた生徒会にも愛着はないのか。
三洲がなにかに執着するのを見たのなんて結局一度きりだったな、と章三は夏休み前の街での出来事を懐かしく思い出していた。でも三洲はそれさえも…。
「三洲! ちょっと待ってくれよ」
三洲の下で副会長をしていた大路があとを追って来た。
「なんだい、大路」
「ちょっと…」
大路は章三をちらりと見ると三洲の手を引き少し離れた場所へ連れて行く。
「悪いな」
三洲は章三にひとこと謝罪して意外なほど素直に付いて行った。
「三洲、迷惑なのはわかってる。でも俺は、俺はずっと」
「ずっと大路が副会長としてサポートしてくれたおかげで随分と助かったよ。感謝してる」
大路の言葉尻を掬うように三洲が言った。大路は言うべき言葉をまったく違う言葉に摩り替えられ、言葉を継げなくなった。
「連絡するよ。一緒に生徒会を運営した仲間同士、落ち着いたらどこかで集まろう」
いつもの柔和な笑み。誰にでも平等に見せる、つまり特別視されていない証の笑顔。
「…最後までなにも言わせてくれないんだな」
呟いた大路に
「今までありがとう」
三洲は右手を差し出した。大路はその手を万感の想いを込めて握り返した。
でも手を離す瞬間、三洲の口元が小さく「ごめん」の形に動いたのを、大路は見逃さなかった。
―――わかってくれてたんだよな、三洲…。
章三と共に暗い廊下を去って行く三洲の背中を、大路は見えなくなるまで見送った。
結局謝恩会の後片付けを手伝ったあと剣道部員たちに捕まり、用があると言っても聞き入れてくれない仲間達に半ば連行されるような形で部室で行われていた先輩達の宴会に顔を出すはめになった真行寺は、ジリジリと時計とにらめっこを繰り返した。
すでに出来上がった先輩達は簡単には後輩達を外へ出そうとしない。
大きな図体とは裏腹に気の弱い駒澤も困り顔で時計を見遣っていた。
真行寺はそんな駒澤を強引に自分の方へ呼び寄せ、トイレに行くと言ってやっとのことで一緒に部室を出た。
駒澤は真行寺に感謝しつつそのまま待ち人がいるであろう寮へと戻って行った。
真行寺もその足で急いで生徒会室へ向かう。
グラウンドから校舎を見上げると、そこにはまだ煌々と明かりが灯っている。それを確認して急いで階段を駆け昇った。
生徒会室の前で深呼吸をして、ノックする。誰かの返事と共に扉を開けた。
でもぐるりと見回した部屋の中には三洲の姿はなく。
「あの…アラタさんは…」
「なんだ真行寺。三洲ならもういないよ」
「最後までご苦労なことだな」
揶揄するような言葉が返って来た。
元々高嶺の花であるはずの三洲の周りをいつもうろついていた真行寺に対して、生徒会役員達の反応は決して良いものではなかった。一応返事をしてくれた人達も、もう興味をなくしたように楽しげな会話に戻ってしまった。どこに行ったのかなんて訊けるムードではない。
「失礼しました」
仕方なく真行寺は扉を閉めた。…部屋に戻ったんだろうか…。どこを探せばいいのか考えあぐねていると、今閉めたばかりの扉がガラリと開いた。
「真行寺」
「大路先輩…」
意外な人物の登場にびっくりする。生徒会役員の中でも最も真行寺のことを冷たくあしらっていたうちのひとりだ。
「三洲はさっき赤池が来て一緒に出て行った。探すなら赤池が行きそうなところだ」
「あ、ありがとうございます」
大路の言葉に感謝しつつも、悪いけれどなにか裏があるのかと勘ぐってしまう。
「三洲は最近元気がなかったよ」
「…え?」
その唐突な言葉に思わず訊き返した。
「あいつは装うのがうまいから、誰も気付かなかっただろうけど。でも俺にはわかった」
「大路先輩…」
「俺にはどうすることも出来なかったけどな」
大路が寂しげに笑う。
「この敷地内のどこかにはいるんだ。探してみろよ」
「はい」
「ま、がんばってくれ」
三洲にこれ以上寂しい想いをさせないように…。
「ありがとうございます。大路先輩も、大学に行ってもがんばってくださいね」
「ああ」
大路が部屋に戻るのを見届けてから、真行寺は暗い廊下を走った。
赤池先輩の行きそうな場所…。ギイ先輩の部屋あたりか…。
でもアラタさんがギイ先輩の部屋に行くだろうか…。
とりあえず270号室に行ってみて、それからだな。
―――早くアラタさんに会いたい…。
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