なにかがおかしい…。そう気付くのにさほど時間はかからなかった。
何気ない友人との会話、生徒会の打ち合わせ。些細なことで、俺の記憶とみんなの話が合致しない。最初は思い過ごしかと思った。どちらかが勘違いしている、ただそれだけのことだろうと気にも止めなかった。だが、それだけじゃ説明しきれない、言いようのない居心地の悪さ。
あの朝…真行寺が消えていた朝。
冷たかったベッド。
あのときからだ。あのときわずかに感じた違和感は今やもう俺の中で、はちきれんばかりに膨らんでいた。
あれから三日、真行寺とは一度も会っていない。「会っていない」というのはまさしく言葉どおりで、本当に一度も姿すらみかけていないのだ。
お互い忙しくしていれば、ゆっくり会えないときなどいくらでもあった。でもそんなときでも所詮同じ屋根の下の生活、廊下ですれ違うくらいのことはあるものだ。
ましてや、今回はあの朝のことが気になって、置き去りにされた文句のひとつでも言ってやろうと、わざわざ人込みの中を探していたというのに。
…風邪でも引いて寝込んでいるのだろうか。
――違う、そんなんじゃない――
頭を過ぎった嫌な考えを打ち消して、俺は売店に向かい232号室を訪ねる口実、少年チャンプを買い込んだ。
売店に行ったついでに夕食を済ませて部屋に戻る。
「あ、おかえり、三洲くん」
「ただいま」
「あれ? 珍しいね、三洲くんがマンガなんて」
「…え?」
「あんまりそういうの、読まないかと思ってた」
…なにを言っているんだ、葉山? 毎週毎週ばかみたいにこの雑誌を巡って俺と真行寺が揉めていたことなど、ほかならぬ葉山が一番よく知っているはずじゃないか。
胸騒ぎがする。核心に迫る、嫌な予感が…。
「どうしたの?」
呆然と立ち尽くす俺に葉山が不思議そうな顔で問いかける。
「…いや、それより葉山、真行寺、最近温室に行ってるか?」
やっとの思いで搾り出した俺の問いに、葉山は益々不審げな顔をした。
「…え? シン、ギョウジ? って、誰…?」
「ふざけてるのか…?」
声が震える。心臓が不規則に脈打つ。
「ふざけてなんていないよ。本当に知らないんだ。ごめん、ぼく人の名前覚えるの得意じゃないから…」
そう言って顔を曇らせた葉山を見て、嘘なんかじゃないことがわかった。葉山はこんなに上手に人を担げるような人間じゃない。
――あの朝から漠然と感じていた違和感の正体がわかった気がした。
「いや、いいんだ。悪かった。忘れてくれ」
それだけ言い置いて俺は部屋を出た。
『ちょ、三洲くん、大丈夫?』
遠くに葉山の声が聞こえた。
ふらつく足取りで232号室を訪ねた。
ノックをしても誰も出て来ない。夕食にでも行っているのか。でも、食堂を探しに行っても、そこに真行寺はいないだろうとわかっていた。
――誰に聞けばいい? 誰に、真行寺のことを……。
ふらふらと、宙を歩いているような感覚。
おかしい。なにかが…いや、なにもかも…?
気がつくと生徒会室に来ていた。
机の上に雑然と積まれた去年の学園祭の資料。さっきまで、これを横目に会議をしていた。話が思うように進まず、結局触れられることもなく放置された資料たち。
俺はその束を必死で掻き分けた。目当てのアルバムを見つけパラパラと捲る。
毎年壮絶なバトルを繰り広げる文化部対運動部の演劇。運動部の『眠れる森の美女』。
美女の名に相応しく、ヒラヒラのドレスを纏い、優艶と微笑む高林泉の隣でぎこちない笑顔を見せている王子は。
――吉沢道雄。
眩暈がする。
頭の奥で鐘がガンガンと鳴り響く。
世界が歪んで見える。
世界が…歪んで……?
馬鹿な! SFじゃあるまいし。
だけどここには。
この世界には……。
真行寺が、いない。
『お前なんかいなくたって…』
『そういう悪い言葉にだって力が宿っちゃうんだよ?』
『あんまり不用意な言葉は言っちゃダメです!』
言わない。もう言わないから…だから………
スッと意識が途切れた。
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