真っ暗な生徒会室、冷たい床の上で目が覚めた。
朝になったら元の世界に戻っていればいいのに…そんな儚い期待はすぐに消え去った。
相変わらず友人との話は合わないし、学園祭に向けての話し合いでも記憶と違うことが多い。
それでもなんとかこの世界になじもうと不用意な発言を控え、なるべく他人に合わせる努力をしている。滑稽にも思えるが、今はこれ以上どうすることもできない。
いつか戻れるはずだから…なんの根拠もないのにただそれだけを信じて待つしかないのだ。
しかしこんな状況でも、何日か経てば少しずつ色々なことが見えてくる。同じようでいて微妙に違う世界。
付き合っていたはずのふたりが別れていたり、付き合う相手が違ったり。もちろん同じ相手と付き合っているカップルもいて、そういうふたりを見ていると、ああ、このふたりが出会ったのは運命なのかな、などとガラにもないようなことを考えてしまう。
だとしたら、出会ってもいない俺たちは――。言いようのない虚しさが込み上げる。
それに、気になるのは葉山の俺に対する態度が心なしか硬いことだ。警戒しながら接しているのがわかる。
『うまくやっていく為に、極力隠し事はナシってことでね』
同室になり最初に、互いの秘密を共有した。そうやって人見知りの葉山の警戒心を解き、同等でいられるように俺なりに配慮したのだ。
真行寺がいないのなら――そんな会話はなかったはずだ。
胸がズキンと音を立てた。
必要以上に気を使いながらなんとか生徒会の仕事をこなし寮に戻る途中、郵便受けに俺宛の封筒があることに気付いた。
夏休みの終わりに受けた模試の結果だ。でもこの模試を受けたのは俺であって俺じゃない。見ても仕方ないかな…複雑な気持ちで俺はその封筒をポケットに突っ込んだ。
部屋に戻ると葉山はもう夕食も済ませてくつろいでいた。
「あ、三洲くん。今度相楽先輩から連絡があったらギイが連絡とりたいって伝えてって言ってたよ」
「相楽先輩?」
結局あれから一度も連絡などしてきていないのに。
「うん。相楽先輩、三洲くんと付き合いだしてからギイにちっとも連絡よこさないってぼやいてた」
「付き合い!?」
これには心底驚いた。俺が、相楽先輩と……。
「あ…っと、ごめん。そうでした、つきあってるわけじゃ、なかったんでしたね」
その台詞に聞き覚えがあって、思わずクスッと笑みが漏れた。やっぱり葉山は葉山だ。俺が笑ったことで葉山もホッとしたのか表情が和らいだ。
「ごめんね。あのレストランで居合わせちゃったばっかりに…」
「レストラン?」
思わず聞き返してしまった。わかっているのに。きっとあのレストランでは違うできごとがあったのだと。あんなに大切な想い出は、ここにはないのだと…。
「あ…あのリバーサイドのレストラン、あの日ギイがあそこを選んだのって、もしかしたらわざとだったのかも」
「わざと?」
「ずっと気にしてたみたいだったし」
「気にしてたって…相楽先輩を?」
相楽先輩がどこまで本気だったかは知らないが、確かに崎は相楽先輩を振った形になっていたから、いくらふざけあう仲であっても内心では心配していたということもあるだろう。
「う〜ん、どちらかと言うと三洲くんのことを」
「俺? 崎が? なんで…」
「なんでかまではわからないけど、よく聞いてたよ。三洲は元気かって」
「ふぅん…」
俺の観察する限り、崎と俺との関係はこちらの世界でもなんら変わりはないように思えたのに。崎が俺を気に掛けるようななにかがあったのだろうか…。
「ごめんね、変なこと言って。でも三洲くんにもそういう相手がいるってわかってぼくは嬉しかったな」
――勘違いだよ、葉山。
そう反論したいけれど、わからない。俺が絶対に相楽先輩と付き合う訳がないという確信が持てない。確かに、あの絶対的な存在感に惹かれていたときがあった。でもそれは単なる尊敬とか、憧れとか……憧れが、恋に変わることもあるだろうか。真行寺のいない、この世界でなら…。
それきり言葉を継げなくなってしまった俺に、葉山は少しだけ困った顔をして、用事があると言って部屋を出て行った。
居心地の悪い思いをさせて悪かったな…。いや、そもそもここでの俺と葉山はずっとそんな関係なのかもしれない。
ふうっとため息をつき、ブレザーを脱ぎかけてポケットにあるそれに気付いた。模試の結果を知らせる封筒。
こっちの俺の成績を見ても仕方ない気もするけれど、「自分」を把握する為には必要かもしれない。そう思い直して封を切った。
…へえ、まずまずじゃないか。むしろ今の俺よりは良い成績だ。
そうか。真行寺がいない分、きっと勉強にあてる時間は多かったんだ…。
『邪魔なんて、そんなこと…』
フラッシュバックするあのときの真行寺の戸惑った顔。思い出すまいとギュッと拳を握り締めた。
志望校の評価も全てAランクだ。
「がんばってるじゃないか」
でもこれは今の俺にとっては他人の成績表でしかない。その証拠に中にはまったく意中にない遠くの大学があったりする。こっちの俺は、いったい何に興味を持ってこんな遠くの大学を志望しているのか。
――わからないことだらけだ。「自分」のことなのに。
このまま俺は、いつまでこの生活を続けなければならないのだろう。
もし戻れなかったら?…そんな思いはすぐさま打ち消す。それを考え始めたら、どうにかなりそうだ。
そのとき、寮内に電話呼び出しのアナウンスがかかった。
「270号室の三洲新さん…5分以内に…」
誰からだろう。まさか、俺の知らない「友達」なんて存在はいないだろうな。もしそんなことがあればさすがにごまかせないぞ。
そんなことを考えながら重い足取りで公衆電話ボックスに向かった。
「何番だっけ?」
考えごとをしていたせいでうっかり聞き逃したボックスのナンバーを電話当番に尋ねる。
「あ、3番です」
「ありがとう」
内心ビクビクしながら受話器を取った。大きく息を吸い込み平静を装う。
「…お待たせしました。三洲です」
「よお、三洲」
「相楽先輩…」
思わず息を飲んだ。
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